2014年09月19日

足の引っ張り合いで紙メディア全体の信用が失われている

朝日新聞社 ご愛読のみなさまへ深くおわび申し上げます.jpg 自宅で購読している朝日新聞に「ご愛読者のみなさまへ深くおわび申し上げます」というプリントが折り込まれていました。丁寧な対応にいろいろな思いを巡らせながら、もっと早めにやっておけば…と感じました。
 誤りはしっかり検証して謝罪、訂正すべきですが、だからと言って生活者が朝日新聞に期待しているであろう「権力の監視」の手を緩めるようであってはいけません。安倍政権の広報紙とも思えるようなY紙やS紙(スポーツ紙じゃありません)の攻勢など相手にせず、おもねらない紙面で信頼を回復してもらいたいと思います。

産経PR版.jpg 地上戦ではここぞとばかりに朝日読者を切り崩そうとY紙、S紙が朝日バッシングの宣伝版を大量にポスティングしているようです。生活者の反応はというと「醜い」のひと言。
▽真実を探すブログより
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-3834.html
* * *
 きのう、フェイスブックで以下のブログをシェアしたところ、尊敬する方からコメントをいただきました。
▽朝日新聞叩きで紙メディア全体の信用が失われている(Taejunさんのブログより)
https://note.mu/taejun/n/n9323a566b17c
(諸兄からの返信)
朝日新聞をかばうつもりは寸毫もない。
しかし、朝日叩きを見ていると反吐が出る。
この問題に限らず、何かを、誰かを、そして他国を叩くことによって、自らの優越感を得るような風潮が蔓延してきていることに大きな危惧感を覚える。
Facebookがそのような風潮を拡大する場と成っていることにも不快感を覚える。

「日本のメディア全体の信用が問われている」という指摘は的を射ていると思う。

(本文より引用)
朝日を叩いているメディアのうち、結構な数が、(おそらく当の朝日よりも)トンデモ記事をより多く日々量産している。起こっている事態を100歩くらい離れて遠くから見ると、「目くそ鼻くそを笑う」を壮大なスケールで行っているわけで、結果として読者の目に明らかになるのは、「紙メディアってどこも信用できないんだね」ということだ。

 フェイスブックなどのソーシャルメディアによって『問題点の本質を整理せずに』拡散・シェアすることは、情報提供の機会を増やすことよりも「やじ馬」を煽るだけにしかならない―と受け止めました。
 感覚でものごとを判断するのは大人げないことであって、インターネットで発信していくことの責任というか、情報リテラシーの重要性を指摘してもらいました。情報リテラシーの習熟に努めながら、やじ馬にならないよう販売現場からの真実をこれからも発信していこうと思います。
posted by 今だけ委員長 at 21:24 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2014年09月05日

朝日新聞の問題を考える/新聞社の特権意識が自由な言論を封じている

 今月の新聞研究(2014年9月号)をながめていたら、日刊工業新聞社論説委員の加藤正史氏が随想コーナーへ寄稿された「神童と特権意識」が目にとまりました。
〜特権は人を腐らせる。おそらく例外はない。人生の早い時期に甘美な経験をした私は、その抗しがたい魔力を知っている。成人して、あるいは老成して特権にたどりついた人が、無残なほど脆く魔力におぼれていく姿を、同情をもって見ている。
社会には、特権を許してしまう環境がある。たとえば大臣に接する官僚の言動だ。あんな態度のスタッフばかりに囲まれていたら、1年を経たずして、どんな大臣でも自己規制のタガが外れてしまうのではないか。長期にわたって企業に君臨する経営者もまた、同じであろう。
腐ってしまう人間より、人を腐らせてしまう環境が憎い。ささやかながら、そうした思いが拙文の背後にある。

 この数日間、ネット上で物議を醸しだしている朝日新聞の従軍慰安婦報道(の誤り)から派生した池上彰氏のコラム見送り(数日遅れで掲載)や週刊新潮の広告の一部を伏字にして紙面掲載した問題。
▽(池上彰の新聞ななめ読み)慰安婦報道検証(9/4 朝日新聞)
▽<朝日新聞>週刊新潮広告、一部黒塗りへ(9/3 毎日新聞)

 今だけ委員長は、朝日新聞社内の特権的なおごりが出てしまったのではないか―という印象を持ちました。あと、実は打たれ弱い新聞社の体質というものを感じました。従軍慰安婦問題の報道の誤りに対して、さらに踏み込んだ検証を期待していた読者も少なくないのに「火消し」の方に目が向いてしまったと映ります。

週刊新潮 9月11日号.jpg ミスを犯さないために、またミスを犯してしまった際の事後対応を適切に実行するための関連部署や経営に携わる人たちの議論、または経営トップへどのような進言をしたのかが問われます。
 池上氏のコラム見送りの件では同社の記者がツイッターを通じて「もし本当なら言論機関の自殺行為だ」、 「多様性のある、自由な言論は朝日新聞の生命線じゃなかったの?現役記者として危機感を感じます」などの批判的な投稿があったことも影響しているかもしれませんが、結局は池上氏へ謝罪しコラムを掲載するという顛末をたどりました。
 この記者たちが書いたツイートには、新聞社という言論機関が機能不全に陥らないよう危惧する現場の声を強く感じるわけです。この意識がなくなり利益を上げるための企業に新聞社がなってしまったら、「終わりだな」と一読者として思います。

 ネット上では朝日新聞への罵詈雑言が絶えません。建設的な意見も発信されていますが、「朝日叩き」をライフワークにしている人たちの発信を興味本位で拡散する輩も増殖しているように感じます。
 読売新聞は朝日を批判する週刊誌の広告を破格のスペース(6/12段)で掲載。「慰安婦報道検証・読売新聞はどう伝えたか」という朝日批判のリーフレットを作り販売店が各戸へ配布するなど、ここぞとばかりに攻勢をかけています。
▽読売新聞、朝日の慰安婦報道検証で攻勢 チラシを各戸配布(9/2 edgefirstのブログ)

 でも、朝日新聞(朝日新聞の論調)がなくなってもいいのか?と考えるわけです。読売、産経の論調を支持する人たちが増えてナショナリズムへ突き進む様を静観しているだけでいいのか?と強く感じるのです(対極として)。ときの政権というか、権力者が行おうとしていることを冷静に判断する材料を提供してくれる報道機関の存在は欠かせないのであって、新聞というメディアはその最後の砦だと思うのです。
 「そんなことは国民一人ひとりが考え、決めればよいこと」という当たり前の意見もあるでしょうけれど、そこは冷静に現実を考えたいものです。過去の過ちを繰り返してほしくないと思っているから、そう願っています。

 前出の加藤氏の随想のように、朝日新聞は特権意識が強くなりすぎているのかもしれません。そう勘違いされている人が下す判断がときには取り返しのつかない問題を生んだり、従業員のモチベーションを損ねたりするものです。そして、特権を得た人や組織へ忠言してくれる「人」が大切なのであり、耳を傾ける器量が必要なのだと思います。
 朝日新聞社には反省すべきところは反省され、引き続き自由な言論機関としての活躍を期待しています。
posted by 今だけ委員長 at 07:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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