東日本大震災から2年8カ月が経ちました。
各メディアをながめていると「震災関連」の報道(記事や映像)が少なってきたなぁと感じます。国民というか生活者の関心事は移り変わっていくので仕方のないことですが、いまだ28万人が避難生活を強いられ(復興庁「全国の避難者等の数」)、プレハブ応急仮設住宅で三度目の「寒い冬」を迎えようとしています。せめて月命日にあたる11日にはこのような被災地の現状を取り上げてほしいーそう願ってやみません。
被災地への取材体制も震災前に戻っており、被災者の視点に立って喜怒哀楽のネタを掘り起こすような記事も間違いなく減っています。行政等からの発表モノの取材に追われて、これまでのような取材(ひとり支局は大変です)が難しくなっている・・・。いわゆる「遊軍(記者)」がいなくなって(通常に戻って)しまうと、「風化」がいっそう進むのだと思います。
一方、被災3県の新聞社や放送局各メディアは、被災された読者や視聴者と共にこれからを歩むーというスタンスを感じられることはうれしい限りです。全国紙やキー局の報道に偏重することなく、地元の方が共感する報道を続けていってほしいと思います。読者は天下国家を論じる紙面より、身近な話題を伝えてくれて生活しやすいまちづくりの旗振り役としての期待の方が大きいと実感しています。
* * *
「新聞ではEXILEやBEGINのような名のしれたミュージシャンの被災地慰問しか取り上げないんすかね。たまにしか来ないのに」。
南三陸町志津川でさんさカフェという飲食店を営む内田智貴さんが発した言葉は忘れられません。マスコミは当然マスを意識してその取材対象を探り、話題性があるかどうかの判断をするのですが、著名人が被災地を慰問するだけで紙面に掲載されるのは広告と同じようなもの。「誰に向かって書いているのか分からない」と内田さんは凄みました。「震災直後は多くの有名人が来たけれど、継続して訪れる人はほとんどいないんです。それなのに新聞では地元の人たちとロクにつながってもいない有名人だけが賛美されて伝えられるのはおかしいんじゃないですか」。
その時、「桃梨」というバンドのことを彼は紹介してくれました。上村美保子さん(ボーカル)とJIGENさん(ベース)の音楽ユニットで、震災後すぐに南三陸町の避難所(志津川高校)を訪れた時のこと、都内在住の二人が楽器と支援品を積んだ車で毎月きてくれること、献身的に被災者へ寄り添った活動をしていることなどを熱く語ってくれました。
その話を聞いて私は「ホンモノだ」と直感しました。こういう「ホンモノ」をもっと多くの人に伝える必要があるし、それはやはり新聞じゃないのかと。新聞各社へ取材依頼の原稿を考えながら、無性に彼らに会いたくなったのは言うまでもありません。7月28日に南三陸町入谷小学校仮設住宅集会所で開催されたミニライブの光景は素晴らしいものでした。20人程度の来場者が一緒に歌い、笑って体を動かして…会場が一体になる。はじめは照れていたおじいさんも子どもたちと一緒になって声を張り上げる。震災から毎月被災地へ足を運び100回ものライブを通じて培った「被災者と向き合う姿勢」にただただ感動しました。
盛岡市出身のJIGENさんは「これまでメディアに出ることを極力控えてきました。ミュージシャンがこのような活動をすることって売名行為と受け取られてしまうから。でも、2年半経過して支援活動を続ける人たちも減ってきているし、僕たちだけの力では何も変えられない。被災地にくるとわかるんです。みんなまだまだ不自由な生活をしているし、何も変わっていないんですよ。僕らのことをマスメディアが取り上げてくれて、被災地支援の輪がちょっとでも広がってくれれば良いと思うようになったんです」と語ってくれました。
※左から河北新報11/5付、読売新聞10/30付、毎日新聞10/30付
取材依頼をして10月30日に行われた「100回目のライブ」を河北新報、毎日新聞、読売新聞が記事にしてくれました。それぞれの記者がどう感じたのかは記事の内容でおおよそ把握できますが、被災地で生活する方々から慕われる「桃梨」の地道な活動をマスメディアの方々にも追いかけてもらいたいものです。そして、新聞販売店の従業員が読者から伝えられる話題を編集の方々へつなぐ仕組み(申請あげろとか面倒なこと言わないでw)が大切だとあらためて思いました。