2011年11月26日

東北地方の新聞労働者が執筆/東北地連50周年記念誌「未来へ」

 東北地連50周年記念詩「未来へ」.jpg
東北地連結成50周年記念誌「未来へ」
発行:新聞労連東北地連

 私たち新聞労働者の役割と責任も重い。発行本社へ正常化を直接訴え続けられるのは労組しかいない。社会の公器を標榜しながら、その一方で不当販売を繰り広げている業界に将来はないし、真のジャーナリズムが成り立つわけもない。「知らない。わからない。関係がない」ではいられない。私たち新聞産業の未来がかかっているのだ―(デーリー東北新聞社・深川公夫さんの寄稿より)

 日本新聞労働組合連合(東海林智委員長 略称:新聞労連)の地方組織、新聞労連東北地方連合が結成50周年(2010年)を機に発行した記念誌。「週休2日制問題」、「ベア凍結春闘」、「印刷工場別会社問題」など、東北地連に加盟する労組が経験した問題を当時の組合役員10人が寄稿しています。どの寄稿も執筆者の顔を思い出しながら「懐かしい」と思える年齢になった私も「年表」作成のお手伝いをさせていただきました。
 約200頁の大半が新聞産業関連の出来事をまとめた年表(1945年8月〜2010年5月)ですが、このように東北の新聞産業に特化する60余年の歴史をまとめた資料はほかにはないと思います。発行責任者の高橋一己さん(東奥日報労組)のご苦労が感じられます。


 冒頭に引用した、「販売正常化運動『無関心ではいられない』」は、ぜひ若手のそして編集職場の方にはぜひ目を通していただきたい寄稿です。執筆された深川さんは1992年に東北地連販売正常化委員長を務められた方。仕事のスーパーマーケットと言われる新聞社では、特に編集部門などでは販売正常化問題がいまだに理解されない方が多いものです。そのような現状に警笛を鳴らされた内容でまとめられています。
もう少し引用すると、


販売正常化は複雑な問題が絡み合い、分かりづらい面が多々ある。ここで私たちが正常化しなければならないものが、実は3つあることをあらためて確認したい。
 1つは大型景品など「拡材」の正常化だ。正常化イコール拡材のイメージがあるが、景品表示法改正により新聞価格の6か月の8%を超えない拡材であれば使用できる6・8ルールで、ひと昔前と比べればだいぶ沈静化してきた。しかし冒頭で述べたように一部地域ではいまだに出回っている。また「無代紙」も拡材と同じ性質で、やめなければならない。
 2つ目は「部数」。いまや業界で最も難しい問題か。企業の法令順守が強化されなければならない時代、部数の透明化が求められている。いわゆる「押し紙」「積み紙」を無くすことは、無駄をなくし環境に配慮することにもつながるだろう。
 3つ目は「売り方」の正常化。悪質な拡張団の一掃が必要だ。大手紙が中心の拡張団とはいえ、読者に直接向きあうセールスが悪質であれば大手も地方紙も同じで、新聞そのもののイメージを悪くし、読者の信頼を失うだけだ。(引用終わり)

 ぜひ興味のある方は読んでいただきたい…と言っても、加入組合員向けの記念誌なので入手できないのか。うぅーんもったいない。全頁PDFにして希望者へ販売してもよいと思うのですが。

posted by 今だけ委員長 at 21:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍紹介

2011年11月21日

ネットを介した人とのつながりは国境や自分の想像を超える

 ネットを介した人とのつながりって、自分の想像を超えるものだと強く感じるきょうこの頃です。
 以前、私が所属する「ふんばろう東日本支援プロジェクト」というボランティアつながりで知り合ったFM大阪DJ・RIOさん。彼女の紹介で知り合ったイギリスのロックバンド「FEEDER」のベーシスト、タカ ヒロセさんと先週17日、南三陸町歌津地区と石巻市へ支援物資を届けてきました。
 タカさんはFEEDERとしてデビューする前、中日新聞ロンドン支局勤務という経歴があり、年齢も同じということで意気投合。ネットを介して国境を越えた“つながり”を実感しつつ、リアルに会えた時の感動は素晴らしいものでした。
 FEEDERは、東日本大震災支援のチャリティーシングル「SIDE BY SIDE / FEEDER」も発表されていて、英赤十字社の日本津波募金(Japan Tsunami Appeal)に全額寄付する活動もしています。
※購入方法:オフィシャルサイト 
http://www.feederweb.com/よりダウンロード。価格:£ 0.79(約109円)

 タカさんとは何度かメールでのやりとりをさせていただき、「ぜひ宮城の被災地へ行きたい」という彼の思いを実現することができたわけですが、今回は自分の想像以上の展開に…。
 ナント、女優の熊谷真美さんも同行することになったのです。じつは、タカさんと真美さんがツイッターでつながっていて「(震災後)いつか宮城を訪れたい」と思っていた真実さんをタカさんが誘ったというわけです。真美さんのマネージャー・矢島恵美子さんと4人が私のポンコツ車に乗って、南三陸町にある韮の浜仮設住宅へ。

TAKA&真実 大川小 H23-11-17 001.jpg 旧歌津町にある韮の浜仮設住宅では、広島県福山市で新聞販売店を営む、吾川茂喜さん(中国新聞深津北販売所)から「ぜひ被災地へ」と送っていただいた電気ストーブを届けました。ふんばろうの避難所登録をされている小野寺さん(80歳)宅です。
 「お茶っこ飲んでいがいん」と部屋の中へ入れていただき、地震直後の様子などいろいろな話を聞かせていただきました。真美さんを見て「どっかで見だごどのある顔だなぁや」と小野寺さん。「マー姉ちゃんだよ」と答える真美さん。みんなで四畳半部屋のコタツを囲み、ミカンをいただきながら談笑が続きました。


徳島新聞 11月10日付.jpg 私のポンコツ車は南三陸町から石巻市へと南下。次なる訪問先は津波によって全校児童108人のうちの7割が犠牲(行方不明)となった大川小学校(石巻市河北町)を訪れ、手を合わせてきました。その後、大川小児童が通っている飯野川第一小学校へ徳島県のダンススクール「WITH」からお預かりした音楽CDや義援金を届けました。このつながりも徳島新聞社に勤める友人の佐藤雅之さんから「ぜひ直接渡してほしい」と相談を受けたもの。児童へ直接お渡ししたかったのですが、マスコミの取材攻勢で精神的にも疲弊している児童たちとの面会は難しく、遠目から見ることしかできませんでした。そうです。すでにメディアスクラムが起きているのです。対応していただいた近藤和夫先生に話を聞くと、無造作にマイクを向けてコメントを引き出そうとするマスコミ関係者は少なくないとのこと。校門の前で待ち構え、声も掛けずにシャッターを押すマスコミ関係者の行為に対して、児童たちは相当の不信感を抱いているようです。
 佐藤さんからお預かりした支援物資は、23人の児童と遺族の会へ渡していただくよう近藤先生にお願いしてきました。

大川小.jpg メディアスクラムの問題は新聞をはじめ各メディアに携わる人たちには真剣に考えてもらいたいと思います。児童たちは自分が言ったこともわからなくなるくらい同じ質問を複数の記者から受け、写真をバチバチ撮られることの精神的ストレス…。その紙面を見たご遺族の方々の無念さ…。メディアに対して「そっとしておいてもらいたい」ぽつりとこぼされた近藤先生の言葉に胸が痛みました。


 被災地への支援のあり方については、物資支援から就労、学習、情報通信などの支援へと変化しています。東日本大震災のことを「忘れない」、マスコミには取りあげられない現地の状況を「伝える」ことが大切だと思っています。タカさんや真実さんにも被災地を「忘れない」、「伝える」ことをツイッターや個人のブログで発信してほしい―とお願いしました。でも、そっとしておかなければならないことも被災地にはある。マスコミ関係者はそのあたりを慎重に触れてもらいたい…そう願います。

posted by 今だけ委員長 at 21:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年11月10日

無料だったから展開できた「あらたにす」が来春終了

 あまり驚きはありませんが、朝日、読売、日経のANY連合が展開していたネット情報サービス「あらたにす」が来年春をめどに終了するそうです。

▽日経・朝日・読売の読み比べサイト「あらたにす」、2012年春メドに終了 PV伸び悩む(J-CASTニュース 11/10)
http://www.j-cast.com/2011/11/10112808.html


 2007年11月、「ANY連合立ち上げ」の会見は業界人を震撼させたものです。今後の新聞業界の動きを大きく揺るがす連携かと思いきや三社ともそれぞれの独自路線を崩すことなく、この4年間は“ゆるーい”連合体として関係を維持してきたように思います。「あらたにす」(08年1月31日オープン)を業務連携のシンボル的に扱ってきたような節ももうかがえますが、ある関係者からは、「あれは12段組、印刷提携の(他社への)呼び水ともカモフラージュともいえるもの。いずれなくなる」という話を09年に聞いたこともありました。
 「あらたにす」終了後には「ANY協議会」を新設して、「これまで事業ごと、プロジェクトごとに随時組成してきた協力関係を一元的に統括する役割を負う常設機関」として、あくまでも「連携の絆」は続けていくようです。

 「(終了する理由について)…アクセス数や広告収入の低迷が背景にある」とのことですが、日経も朝日も有料電子新聞事業を展開しており、「タダ漏れ」させているサイトを整理したいというのが本音だろうと推測します。読売も来春から有料サイトの立ち上げを検討しているという話も聞いているので、3社が有料電子版で競合するとなると、ネット上でコンテンツを売るビジネスモデル(これまでのPV稼いで広告収入をあげるモデルではなく)にシフトした時点で「終了」となる運命にあったのでしょう。「あらたにす」は無料だったから展開できたモデルだったとも言えますね。個人的には「あらたにす」をブックマークへ入れて常にチェックしていたので残念なのですが…。

 これは、日本の新聞社のネット事業にも大きく関わってくることのように思います。新聞社のネット事業をビジネスとして捉えるのか、地域社会とのコミュニケーションツールとして役立てるのか…。そう喘いでいる間に下流部門から切り捨てられていくのが、新聞社のみならず資本主義経済の常ですね。
 販売系は地域に根差した「足で稼ぐ」御用聞き部隊として、物流系の販路を拡大させていくよう進化していかなければなりませんね。ふんばります…はい。

posted by 今だけ委員長 at 20:23 | Comment(2) | TrackBack(0) | 時事ニュース

ワンコイン応援メッセージ第7弾は七ヶ浜町編!

 あすで東日本大震災から8カ月。11月11日は一昨年30歳の若さで急逝した同僚のことを思い出し、残されたご家族へ哀悼の意を伝える日…。「11」という数字は個人的に大きなキーワードになっています。
  ワンコイン応援メッセージ 七ヶ浜町編(1面).jpg  ワンコイン応援メッセージ 七ヶ浜編(2面).jpg
 ワンコイン応援メッセージプロジェクトの第7弾は七ヶ浜町エリア。同エリアを管轄する長谷川新聞店さんへチラシ3,800枚をお願いしました。あす11日の朝刊折込となります。
 今回も多くの方にご支援をいただきながら発行にこぎつけました。どうもありがとうございました。

 2面の「ふんばっているお店紹介!」には、津波の被害で店舗が全壊した佐藤米穀店(花渕店)の六代目店主・佐藤信輝さんのメッセージ掲載しました。同店は震災を機にネットショッピング大手の「azazon」を活用してお米のネット販売に取り組み、復興に向けてふんばっています。
 被災した商店の支援手段として、ネットを活用した商品購入はとてもありがたいことです。被災地の商店も懸命に復興の道を歩んでいます。ぜひご支援をお願いします。

▽佐藤米穀店amazon店のサイトは 
http://amzn.to/ti0EqB

引き続き、ワンコイン応援メッセージプロジェクトは3・11大震災で多くの被害を受けたエリアの新聞販売店の支援と、地域住民への情報発信を目的に発行してまいります。皆さまのご支援をよろしくお願いします。
ワンコイン応援メッセージプロジェクトへの問い合わせは、
koseki.k@gmail.com まで!

2011年11月08日

新聞産業の下流部門にいる私は思った『この記者が書いた記事を多くの人に読んでもらわねばと…』

 河北新~1.BMP
河北新報のいちばん長い日
河北新報社著(文藝春秋)1,400円

 東日本大震災からもうすぐ8カ月が経とうとしています。先々週発売されたこの本をめくり、言わずもがな新聞という産業は多くの人が携わっているのだなぁ二度読み返してつくづく感じました。そして、それぞれの部門の人たちが「新聞を発行し、読者へ届ける」ということをあきらめてしまった時点で、新聞としての役割は果たせないという怖さもあるのだと。

 今回の震災では、とても悲しくつらい思いもしましたが、新聞が届けられることを待っている人たちの期待に応えられた―という意味では、多くの新聞販売労働者が自信を持ったのではないかと思うのです。震災翌日、街灯ひとつともることのない暗がりを家族の安否も確認できないまま、新聞配達をしてくれた人たちの責任感は並大抵ではありません。専業従業員ならともかく、アルバイトの方のほとんどが休まずに配達をしてくれたという事実を、この本でもしっかりと伝えています。

 「(道路陥没などで)配達先の安全確認をしないうちに配達作業をさせた」、「福島第一原発の放射能漏れ(メルトダウン)の3日後の雨天時に配達を休止させなかった」という非難もしっかり受け止めた上で、有事の際の新聞発行については、いまでも悩むことが多いものです。「あの時の判断は正しかったのだろうか」と。
 日々、いろいろなことを反省しながら、それを忘れようとボランティア活動にハマっている自分もいるのですが、震災後のある出来事から新聞産業のアンカー役として“ふんばろう”と思ったことがあります。以前にも小ブログでも書いたのですが紹介します。
 地震直後に若手の記者が販売店へ来て「すみませんバイク貸してください」と言い残して猛スピードで立ち去って行きました。察するに津波の被害を受けた沿岸部へ取材に行ったのでしょう。ラジオでは「名取市の沿岸部には200以上の死体が…」と想像を絶する情報が流れてくる。まだ非常線が張られる前に沿岸部へ向かって大丈夫なのだろうかと心配しながら夜を明かしたことを記憶しています。そして翌朝、彼は泥だらけになったバイクを返しにきました。その表情はこわばっていて、とても見ていらるものではありませんでした。その時、思ったのです。この記者が書いた記事を多くの人に読んでもらわねば…と。

 以下に11月7日付け河北新報の書評のコーナーに掲載された同誌の書評を引用します。

 東日本大震災で自ら被災しながらも新聞を出し続けた東北ブロック紙、河北新報(本社・仙台)。2011年度新聞協会賞を受賞した一連の震災報道の舞台裏を記した迫真のドキュメントである。
 その日、交通網や電話回線はマヒし、紙面制作システムは破綻した。津波で支局が流され、販売店からは多数の犠牲者が出た。ガソリン、水、紙、食料。取材から紙面制作、配達までに要するすべてが足らない。
 それでも当日の号外を出した。停電でテレビもインターネットも使えない避難所の被災者は差し出された新聞に殺到した。
 全編を通じて心揺さぶられたのは、それぞれの持ち場で自分の仕事を全うしようとする人間の姿だ。
小学校の屋上で助けを求める人々を空撮した写真部員は、ただシャッターを押すだけの自分を責めた。津波にのまれかけた総局長は寒さに震える手で原稿を書いた。総務・営業部員らは社員のためにおにぎりを作り、販売所は新聞を読者に届けようと奔走した。
 ギリギリの状況で最後まで手放さなかったのは、事実を記録し伝える使命、そして被災者に寄り添う精神だった。こんな場面がある。
 県が推定した「万単位の死者」。見出しに被災者を突き刺す「死者」の2文字が使えるか。整理部員は迷いつつ「犠牲」に置き換えた。紙面作りは全国紙と一線を画した。
 原発が爆発した福島から一度は社命で退避した現地記者は煩悶(はんもん)した。残った住民もいるのに「地元を見捨てたも同じだ」。福島帰還がかなった後も傷は消えていない。
 現場の証言、手記、社員アンケート、企画記事、読者の声などを織り交ぜた本書は、震災史に刻んだ貴重な記録だ。同時に極限の困難に直面した地元紙が描き得た誇り高い自画像でもある。
 情報のデジタル化が進む中で、地域に根付く地元紙の底力と可能性を示す一書だ。評・片岡義博(ライター)
▽「河北新報のいちばん長い日」のご注文はコチラ↓
http://www.senpan.co.jp/shop/product.php?id=179
※宮城県外へのお届けは送料300円かかります。amazonでは送料無料ですが、ぜひ地元の新聞販売店からのご購入をお願いします。

11/8追記:さっそくご注文をいただきました!どうもありがとうございます。
・片平健次さん(京都府)
・三ッ野潤也さん(石川県)

11/9追記:購入するきっかけ「今だけ委員長のブログを見て…」どうもありがとうございます。
・小石 克さん(佐賀県)
・山崎文義さん(宮城県)

11/10追記:職場で取りまとめていただきナント10冊の注文。ありがとうございました。
・琴岡康二さん(東京都)

11/18追記:支援物資も大量に送っていただいた中国新聞深津北販売所さまからこれまた大量の書籍・DVDをご注文いただきました。
・吾川茂喜さん(広島県)

12/12追記:元新聞労連委員長の嵯峨さんにも3冊ご注文をいただきました。嵯峨さんにはワンコイン応援メッセージにもご協力いただいてます。
・嵯峨仁朗さん(北海道)




posted by 今だけ委員長 at 01:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍紹介
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