2011年05月01日

震災がもたらした「新聞産業の復興」への動き

 東日本大震災からもうすぐ2カ月が経とうとしています。この間、自分の考えもいろいろと変化してきたなぁと思い返しています。
 これまで当然のように営まれていた生活が、ライフラインの不通や食料品、ガソリンを買い求めるために何時間も行列に並ぶことが苦痛だと思っていたのが前半1カ月間の自分。その後、津波被害を受けたエリアの惨状を目の当たりにして「何かしなければ」と被災者のために動き始めたのが後半1カ月の自分です。このブログへアクセスしていただいている方の中にも「現場」を見て気持ちが変わったという方も少なくないのではないでしょうか。

 宮城県の地元紙河北新報では、震災後から「3・11大震災」をテーマに3つの連載をスタートさせ好評を得ています。「郷土復興」「避難所いま」「ふんばる」。販売現場にいると“新聞のよしあし”をジャッジする読者の声がダイレクトに伝わってくるものです。特に「ふんばる」は記者が被災地を駆け回りながら、小さなコミュニティに入り込まないと知り得ることができない“ふんばっている人”にスポットを当てて紹介する企画で、読者へ「自分も何かしなきゃ」と感じさせてくれる、勇気を与えてくれる内容です。
 メーデーの5月1日付け朝刊に掲載された39回目の「ふんばる」は、南三陸町の鮮魚店「さかなのみうら」社長の三浦保志さんを紹介しています。私が個人的に参加しているボランティア団体「ふんばろう東日本支援プロジェクト」の南三陸町の拠点として、三浦さんが活躍されていることは知っていたのですが、記事としてまとめられたものを読むとグッときました。
▽町を鼓舞「俺はやる」(河北新報5月1日付)
http://bit.ly/lFltUk
 それともう一つ。震災以降、紙面に掲載される記事の多くが署名になっていることも読者からすると親近感というか、記者が被災地の方々と寄り添いながら復興に向けてのメッセージを紙面で伝えていると感じられているのでしょう。記事を署名化したことも「お褒めの電話」が増えている理由なのかもしれません。


 オマケを付けて読者を増やすことが主流だった販売現場ですが、今回の震災によって「新聞産業の復興」へおのずと向かっているように感じられるのです。やはり現場を回らないことには読者とのコミュニケーションは得られない。読者は取材を受けた記者の名刺をずっと持っているものです。「何かあった時に助けてくれるかもしれない」と新聞(記者)への期待のようなものがあるからなのでしょう。そのような信頼関係がいま、新聞産業には必要なのです。

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山田健太准教授と早稲田大学院生.jpg きょうは、新聞労連役員時代にお世話になった山田健太さん(専修大ジャーナリズム学科准教授)と山田さんのゼミ生で早稲田大学院生2人をアテンドしながら、仙台市若林区の避難所(七郷市民センター)と石巻市の渡波小学校、石巻専修大学へ行ってきました。
 山田さんは石巻専修大の入学手続きなどの応援で来県。河北新報社を視察した後、新聞販売店、避難所を案内し、被災時の状況やメディアに対する被災者の声などを集約されていました。
 渡波小学校には先のブログで紹介した「避難所に新聞が届かない」と連絡をくれた友人の妹さんを訪れ、新聞配達の状況をうかがってきました。「あれからちゃんと届いています。避難所ではやっぱり地元情報が多い河北さんが必要です」とのことでした。新聞が必要とされている。こんなうれしいことはありませんね。
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 「ワンコイン応援メッセージプロジェクト」もこれまで約40人の方から賛同をいただき、ツイッターを使って女川町への応援メッセージが集まってきました。GW明けにはチラシ(裏面は地域情報を掲載)を印刷し、女川町の新聞販売店へ持ち込む予定です。出来あがったチラシは当ブログでもアップする予定です。
 次は「mixiバージョン」で気仙沼市、南三陸町、石巻市と津波被害を受けた新聞販売店をリレーしていきたいと考えています。

 ご賛同をいただいた皆さま、急な声がけにもかかわらずご賛同いただき、どうもありがとうございました。

posted by 今だけ委員長 at 23:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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