2011年03月26日

宅配網の維持 現場で汗流すスタッフと使用者との信頼関係が見えてくる

 東日本大震災(メディアによっては東北地方太平洋沖地震とも東日本大震災へ統一)から2週間、津波の被害を受けた岩手、宮城、福島の沿岸部地域に居住していた方々の避難所生活は続いていますが、沿岸部地域を除くと今週あたりから“被災前の生活”に戻り始めています。

東日本大震災トピックス4 001.jpg 食料品の調達も大手スーパーが営業を開始し、営業時間や購買量の制限はあるもの生鮮食料品も相当量流通してきました。都市ガスの供給も新潟からのパイプラインを利用し、当初の復旧予定よりも早まりそうだとのこと。そうなると一定のライフラインはすべて回復することになります。残るはガソリンの調達です。営業を再開するGSも増えてきましたが需給バランスが崩れており、夜中にタンクローリー車がGSへ横付けされているとの情報が流れると深夜から車の行列ができて、至る所で交通渋滞が起きています。給油ができたとしても20ℓの上限が設けられているため、給油できるGSを探し一晩中並ぶのに10ℓ使って20ℓ補給するというとても非効率な燃料調達のサイクルになっています。また、そのような燃料不足と交通渋滞などが原因で、全国から届けられた支援物資も必要としている沿岸部の被災者(緊急避難所)へ届かないという状況です。

 被災地というキーワードを岩手、宮城、福島という県単位の分類にせず、「津波の被害を受けた沿岸部地域」の被災者へ全国の皆さんからの支援を集中させる必要があると感じています。
▽偏る善意、対応苦慮 救援物資、需要とミスマッチ
(河北新報3月25日付)
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/03/20110325t13034.htm


 仙台市若林区にある深沼海岸にほど近い地域では、家屋の損壊が比較的軽度だった被災者が、避難所から戻って生活を再開しはじめる世帯が徐々に増えています。
若林区沿岸部A.jpg若林区沿岸部@.jpg しかし、そのエリアを管轄する販売店も大きな被害を受けたため、宅配網が機能しない状況になっています。そのため、今だけ委員長が所属する会社で一時的にそのエリアの新聞配達を担うことになりました。とはいえ、ゼロから新聞配達をスタートさせるのはそう簡単ではありません。読者台帳もない状況下では1件ずつ購読紙を聞いて回ることから始めなければなりません。きのう、私もそのエリアに出向いて読者台帳の作成に携わりました。被災者からは「ご苦労さまです。早く配達を再開してほしい」との声が多く寄せられる一方、「そんなところではない」と自宅に散乱する瓦礫を片付けながらやり場のない怒りをぶつけられる方もいらっしゃいました。
水田には海岸浜の松林.jpgここから復興が始まる@.jpg また、幹線道路は消防署や自衛隊の方々によって車両は通行できるものの、袋小路になっているところなどは瓦礫の撤去が追いつかず、明るくなってからではないと危険で配達ができない箇所もいくつかあります。そのような状況でも、自店の宅配網を維持させながら他店エリアの配達もこなしている社員の頑張りは相当なものです。これは暖かい部屋の中で指示を出すだけの人たちには計りしれないと思います。
※上記4枚の画像は配達再開するエリアの様子


 たかが配達、されど配達―。「ガソリンがないから配達できない」と宅配を一時休止する販売店もある一方で、ガソリンがなければ自転車や徒歩でも新聞を配り続ける販売店もある。でも配っているのは配達スタッフであり、その方々の責任感や所属する販売店(使用者)との信頼関係が醸成されているからこそ、欠配なく宅配網が維持されていることにほかなりません。このような緊急時にこそ、いかにその宅配網を担う配達スタッフを大切にしてきたかが販売店(使用者)に問われているような気がします。

posted by 今だけ委員長 at 13:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年03月24日

当たり前だが紙もネットも長・短所がある。要は発信側が信頼されるかどうかだと思う

 東日本大震災からちょうど2週間が経ちました。
 津波の被害を受けていない仙台市内では、今週から通常の生活へと戻りつつあります。といってもガソリンスタンドには長蛇の列が連なり、食料品を販売する全国展開する大型スーパーも不定期営業を余儀なくされています。3月11日以前の生活を取り戻すまでにはまだまだ時間が掛りそうです。
▽水道情報 
http://bit.ly/gk6NdY
▽電気情報 http://bit.ly/gzaLIP
▽ガス情報 http://bit.ly/easFQs   ※河北新報HPコルネットより

 今だけ委員長の近況は、この2週間まともな入浴をしていないことに加え、花粉症とバイクでの移動で砂埃をかぶり続けたため顔面が赤くただれ始めました。余計に?不細工な面構えになってしまいました(涙)。
 また、多くの仲間に元気づけられています。今週に入って、全国の新聞労働者(販売店の方からも)の仲間から電話をいただいています。「そろそろ落ち着いてきた頃だと思って連絡しました」と、それこそ北海道から沖縄まで多数いただきました。本当にありがとうございます。「がんばって!」というメッセージに勇気づけられています。

 今回の震災ではソーシャルメディアの活用がだいぶ評価されているようです。安否確認や物資調達情報、義援金の集約に至るまで、その役割が既に生活インフラに欠かせない存在のように多くのメディアで論じられています。
▽震災で重みを増したソーシャルメディアの役割/藤代裕之(日本経済新聞3月19日)
http://s.nikkei.com/h16owv

 今だけ委員長も停電中(4日間)はケータイとiPadでさまざまな情報を収集し、同級生やご近所同士の小さなコミュニティへの発信ツールとしてmixiやFacebookを活用していましたが、あまりレスポンスがないことに気づきました。ソーシャルメディアで情報を確認するより、友人からのダイレクトメールの方が「使える」というのです。今年44歳になる私の世代は2通り(ネット系に長けている人とそうではない人)に分かれると思います。「ネットはケータイのみ」という人は、多くのメディアで賛美されているようなソーシャルメディアの活用がされていないとあらためて感じました。当然、それより上の世代では、やはりマスメディアに頼る傾向が強いというか、特に停電中は新聞の存在がとても重宝がられました。
 震災から約1週間、駅売店やコンビニが営業休止していることもあって市内中心部で新聞販売をしました。おそらく定期購読をしていないだろう若者が「きょうの新聞ください。情報量は朝刊と夕刊でどっちが多いですか?」と言って新聞を買っていく姿が印象的でした。だからといってその若者が定期購読者になってくれるのかどうか分かりませんが、新聞の役割や価値のようなものは理解していただけたのではないかと思います。
▽紙面よりあたたかく感じる記者のブログ考(ふらっと3月20日)
http://bit.ly/eZuq5q


買い物代行ボランティアチラシ[1].jpg 震災後、住民同士が支え合う頼もしい取り組みも行われています。
 学生ボランティアが高齢者や体の不自由な方への「買い物代行」を立ち上げました。ですが、ネットだけの告知ではその対象となる方々には伝わらない。何とかならないかということで、「新聞折込」による告知の相談を受けました。社内申請をしたところ二つ返事で「協力しろ」ということで、チラシの印刷と新聞折込の協力をしました。あまり大風呂敷を広げても学生ボランティアの数やエリアは限られているため、高齢者が多い世帯をセグメントしてそのエリア(区域)に折り込みました。翌日、ボランティア代表の方から連絡が入り、さっそく十数件の問い合わせがあったそうです。

 震災による非常事態の時だから、紙や電波のマスメディアだけが万能だとも思いませんし、ネットを駆使したソーシャルメディアがあれば既存メディアはなくてもよいとも思えません。このような時代のなかで新聞社は、「紙でもネットでも」信頼される情報を送る(届ける)企業として生き残っていく必要があるのだと思います。そして、必ず人の手を介さなければならない「モノを運ぶ」という物流業務が、最も重要なのだと、被災地に居るとあらためてそう感じました。
* * * * *
3月17日朝刊.jpg 3月17日夕刊.jpg 3月18日朝刊.jpg
3月18日夕刊.jpg  
※河北新報社の了解を得て東日本大震災から1週間分の朝夕刊のイメージ画像をファイルアップしています。

posted by 今だけ委員長 at 22:18 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2011年03月20日

紙面よりあたたかく感じる記者のブログ考

 ふぅー、あれから、もう10日もたったのですね。皆さまいろいろな問題を抱えながらですが、踏ん張っていらっしゃることと存じます。

 一部の地域を除いて、河北新報は朝、夕刊とも欠配することなく皆さまのお手元へ届けられていると思います。配達するスタッフも家が半壊したり日中の仕事がなくなったりと、いろいろな事情を抱えながらも「新聞配達」という仕事に誇りを持ってがんばってもらっています。

 今さらの反省なのですが、一人で多くのメディアを持つことの限界のようなものを感じています。ツイッターをはじめ、ソーシャルメディアネットワークのmixi、GREE、食べログそして「ふらっと」。(自分が登録し、コミュニティを立てている)すべてのメディアを迂回し、フォローし続けることの難しさに直面しているのです。
 最近は自宅でPCを開く時間も少なくなり、ついついケータイでツイッターを眺める程度に落ち着いてしまっているのですが、mixiやGREEには個人宛のメッセージが届いているにもかかわらず、数日間も放置しっぱないという状態。安否確認がほとんどなのですが、これじゃまずいなぁと感じました。少し整理しようと思っています。
 でも「ふらっと」はやめませんよ!(除名されるまでは)

cef788aba798b64a34b22e5465423024.jpg 私の世代(40代中盤)はネットの活用法がイマイチという方も多く、メールのようなダイレクトに送られる(ケータイなどへ)受け身(プル型)の活用にとどまっている方が多いようにも感じます。

 中学時代の同級生たち約50人がmixi内のコミュニティに登録していて、そこで情報交換や安否確認などをしようと沖縄在住の同級生がいろいろな情報を発信してくれるのですが、見られていないのが現実。
 逆に不定期ですが河北新報がコルネットやツイッターで発信する生活情報を(同級生へ)メールで送るととても重宝がられる。何となくメディアの使い方ってその世代というか人にあった伝え方もあるのだと感じている今日この頃です(いまさらですが)。
 当面は正確かつ整理された最新情報を伝える河北新報のサイトを取捨選択しながら、身近な人へメール発信をしていこうと思います。

 最近の河北新報の紙面には署名記事が増えています。とてもよいことだと思っています。加えて、記者ブログはとても臨場感があって、その記者の方の視点が感じられてとてもワクワクしながら読んでいます。
 夕刊編集部の安倍さんは仙台市内を歩き、被災の状況を伝えるだけではなく、あすへの希望というか勇気がわいてくるようなブログを発信されています。また、ツイッター「flat_kahoku」で自転車で広域をまわりながら地域レポを発信しているメディア部の畠山さんなど、地元紙(地元人)でしかできない発信が続けられています。紙面ではお堅い文章ですが、ブログだととても親近感がわきますよね。

 多くの人が自分の意見を発信できる時代ではありますが、情報の洪水化現象はうっとおしい時もあります。このような災害時は特に…。そんなときに書くことを生業にしている方の発信は、ひと味違うなぁと感じながら読んでいます。
 多くの人が「大変だから何かしなきゃ」と、情報を発信してくれているのですが、信ぴょう性が薄い情報も少なくありません。何かを発信することが目的化しているようにも感じてしまいます。
 伝えることが目的ではなくて、伝えたことで「よし、踏ん張ろう!」と多くの方が思い立つ発信を河北新報の記者の皆さんには期待しています。

●河北新報のツイッター
・河北新報ニュースhttp://twitter.com/kahoku_shimpo
・夕刊編集部ツイッターhttp://twitter.com/yukan_kahoku
・地域SNS「ふらっと」http://twitter.com/flat_kahoku
●Twilog版
・河北新報ニュースhttp://twilog.org/kahoku_shimpo
・夕刊編集部http://twilog.org/yukan_kahoku
・地域SNS「ふらっと」http://twilog.org/flat_kahoku
●夕刊編集部ブログ http://flat.kahoku.co.jp/u/yukan_kahoku/
posted by 今だけ委員長 at 18:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | こせきかつや通信

2011年03月19日

あらゆる手段を使って新聞を必要としている方々へ届けるのが販売労働者の使命

 東日本大震災から8日目。徐々に仙台市内のライフライン(電気・水道)が普及してきました。ですが、食糧不足とガソリンの枯渇現象によって、まだまだ市民、県民の生活は混乱しています。

藤崎前・被災情報インフォ.jpg 震災後、今だけ委員長は新聞配達や緊急避難所への新聞配布、市内中心部のデパート前での新聞販売に従事していました。駅売店やコンビニが営業休止のため新聞の入手も困難な状況であることから、被災者が駆け寄るように震災情報インフォメーション設置した被災地の写真に目を凝らし、机に積まれた新聞を手に取っていかれました。
 「生活情報は朝刊と夕刊でどちらが多く掲載されていますか」、「石巻市の記事が載っている新聞をください」など、食糧などを求めて仙台市内を往来する人たちの表情はとても険しいのでした。「テレビではなく、新聞で情報を確認したい」という市民の声を強く感じました。震災情報インフォメーションではネットでの情報提供も行いました。

全国紙系販売店・新聞をご購読の皆様へ.JPG全国紙系販売店・新聞ご購読者の皆さまへ.jpg また、販売店では配達に使用するバイクのガソリンが確保できない状況となり、配達の一時休止を伝えるチラシが新聞に折り込まれたところもあります。比較的普及率の高い地元紙は1区域あたりの配達範囲が狭域であるため、自転車や徒歩でも何とか配達をすることが可能ですが、全国紙の配達エリアは広範囲であることからバイクを使わないと一定の時間まで配り切れません。何とか全国紙専売店の仲間にも踏ん張っていただきたいと思います。


販売店 夕刊紙分け作業3月16日.jpg 私が勤める販売会社には発行本社からこんな通達が送られてきました。一部引用します。「・・・非常に厳しい状況かですが、我々には新聞を待っている多くの読者がいます。外部と連絡が取れずに不安な日々を過ごし、避難所に新聞が届くのを心待ちにしている被災者の方々がいます。一部の東京紙専売店は、ガソリン確保の困難さを理由に、数日中にも宅配を休止するようですが、我々には「職場放棄」は絶対に許されません。どんなに時間が掛っても構いません。自転車、徒歩などあらゆる手段を使って新聞を必要としている方々のもとへお届けするのが皆さんの使命です」(引用終わり)

 震災後、欠配もなく朝夕刊を配れているのは配達スタッフのおかげです。彼ら、彼女らがこのような状況下でも踏ん張っていただいているからこそ、新聞の宅配網が維持されています。司令塔としての意気込みはわかりますが、現場の状況を無視することなく適切な指示をしてもらいたいと思います。最大限の努力を現場ではやっているのですから…。

※寺島英弥さん(河北新報社編集委員)のブログ「Cafe Vita」で、『余震の中で新聞を作る』が連載中です。紙面では写しだされることのない現場の記者の苦労が感じ取れる人間味あふれるブログです。

http://flat.kahoku.co.jp/u/blog-seibun/


新聞労連・東海林智委員長と新潟日報労組の仲間.jpg【御礼】全国の新聞労働者から支援物資が届きました。
 3月18日、河北新報労組、河北仙販労組に対して、日本新聞労働組合連合(東海林智委員長)加盟の1地連(近畿地連)、6単組(毎日新聞労組、新潟日報労組、報知新聞労組、日刊スポーツ労組、神戸デイリー労組、京都労組)などから、生活支援物資を送っていただきました。心から感謝申し上げます。
* * * * * 

3月14日夕刊.jpg 3月15日朝刊.jpg 3月15日夕刊.jpg
3月16日朝刊.jpg 3月16日夕刊.jpg
※河北新報社の了解を得て東日本大震災から1週間分の朝夕刊のイメージ画像をファイルアップしています。


posted by 今だけ委員長 at 06:05 | Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2011年03月14日

東日本大震災 4日目の夜

 東日本大震災(マグニチュードは「9」へ訂正)から4日目の夜を迎えました。

青葉区国分町にある歯科医師会館.jpg 被災された皆さまは疲労と寒さと空腹に耐えながら、そして安否確認ができない親族のことを思いながら過ごされていると思います。私の親戚も津波に襲われ他界しました。それぞれ大変な思いをされていると思いますが、こんな時こそ冷静に、そして助け合いの気持ちを持ってこの難局を乗り切っていくしかありません。踏ん張りましょう。

藤崎前の震災情報インフォメーション.jpg この4日間、多くの皆さまから安否の確認や励ましの電話、メールなどをいただきました。しかし、すべての方に返事をすることができません。ごめんなさい。

『生きてるぞー、新聞を配っているぞー』これで今の私の現状をお察しください。


 震災の翌朝から新聞を配り続けているのですが、その本人があまり新聞を読んでいません。きょうでひと段落ついたので、じっくりと紙面(地元紙)を読んでみました。
北六番丁交差点で水道管が破裂.jpg 記事の多くは震災後に各地へ飛んだ記者たちの署名で書かれていて、知った名前も少なくありませんでした。震災後、私が担当する販売店へ「バイク(原付スクーター)を貸してください」と言って飛び出したまま、深夜まで帰ってこなかった記者。無事に帰ってはきたもののバイクは泥だらけ、何度か転んだのでしょうバックミラーがねじ曲がっていました。バイクの状態からその彼が書いた記事はすぐに分かりました。おそらく津波の被害にあった沿岸部へ非常線が張られる前に駆け付けたのでしょう。思わず目を覆いたくなるような記事と写真…。でも、これが真実を取材し伝えることなのです。

 現場の状況(情報)を伝えるために新聞社に勤める多くの人がそれぞれのポジションでがんばっている。その新聞を、彼ら、彼女らが書いた記事をできるだけ多くの方へ届けるために私たちもがんばらなければなららないとの思いと強くしました。

 今後、復興まではかなりの長期戦になると予想されます。自分ができ得る範囲で最善を尽くそうと思っています。ご支援をよろしくお願いします。
河北新報3月12日朝刊.jpg 河北新報3月12日夕刊.jpg 河北新報3月13日朝刊.jpg

河北新報3月13日号外.jpg 河北新報3月14日朝刊.jpg
※河北新報社の了解を得て東日本大震災から1週間分の朝夕刊のイメージ画像をファイルアップしています。

【追伸】

 沖縄在住の同級生がmixiでこんな要望を訴えています。「死亡者リストも重要なのですが今は、被災地内でも誰がどこにいるのか分からないのです。たまにテレビで映る避難所の入り口掲示板その内容が知りたい。どこに誰がいるのか知りたい」と。被災地に住む親族の安否を確認したい一心なのでしょう。個人情報を悪用されるケース(無人宅へ空き巣に入るなど)もあるのかもしれませんが、何とかできないものかと思案しています。

【追伸A】
 被災者が苛立ちはじめているように感じます。GSで給油待ちをしていたら「割り込んだ…」でケンカがはじまる。緊急避難所でも食事の配給は「子どもから」というルールを無視して我先に食べものを持っていく大人。私が担当する販売店でも水道のライフラインが回復したので、給水とトイレの解放を一般の方へ提供していたところ、節度のない行動を起こす人。マンション(20階建)のエレベーター休止しているのに「新聞は上まで持ってこい」という苦情(?)を言ってくる読者。きょうも、市内の百貨店前で新聞を販売していたら「こういう時はタダにするものだ」と大声を張り上げるご婦人。
 精神的に滅入って冷静さを欠いているのでしょうが、こういう時に人間の本性というものが見えてくるようにも感じます。

posted by 今だけ委員長 at 21:29 | Comment(3) | TrackBack(0) | 日記

きょうガス局の人がきた 各家庭への供給「2カ月はかかる」

 東日本大震災かた4日目の夜を迎えます。被災された皆さまは疲労と寒さと空腹に耐えながら、そして安否確認ができない親族のことを思いながら過ごされていると思います。私の親戚も津波に襲われ他界しました。それぞれ大変な思いをされていると思います。ですがこんな時こそ冷静に、そして助け合いの気持ちを持ってこの難局を乗り切っていくしかありません。踏ん張りましょう。

 きょう、仙台市ガス局の方が元栓の点検に来られました。担当の方は「ガス局自体の機能が回復するまで1カ月、各家庭への供給は2カ月はかかるだろう」とのこと。

 オール電化にしておけばよかったとかプロパンのままにしておけば…と悔やんでも仕方ありません。プロにお任せして安全に復旧作業をしていただくようお願いしましょう。
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※燕沢小学校付近から撮影した仙台新港で黒煙を上げる工業地域
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※こちらは国道4号線バイパスから仙台新港方面を撮影したもの
posted by 今だけ委員長 at 20:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | こせきかつや通信

2011年03月12日

東日本大震災 新聞販売店で働く皆さま「踏ん張ろう!」

 やっとネットにアクセスできる環境までインフラが整備されてきました。

 3月11日午後2時46分ごろに発生した東日本大震災(12日に改称)は、東北地方だけにとどまらず新潟や長野まで広範囲でその猛威を振るっています。まだ気持ちの整理もできておらず、被災時から一睡もしていないのでボーっとしているのですが、少しでもこの状況を伝えたい、そして記録に残したいと思いPCに向かっています。


 まずは、被災された皆さまには心からお見舞い申し上げます。


 まだ、配達中(昨日の夕刊配達中に起きたため)に被害に遭われた新聞販売労働者の情報は伝わってきませんが、無事であることを心からお祈り申し上げます。
 地元の仙台では地震と併せて火災ではなく津波による被害が拡大し、きょうの夕刊によると「死者・不明1100人超」ということです。阪神淡路大震災では配達達業務中に亡くなられた配達従業員もいました。安全対策をしっかりして、お互いに相手の気持ちを思いやり行動することが大切です。


 何はともあれ、私たち新聞販売労働者の使命は「正確な情報を配ること」です。生活インフラを断たれ、家族のことも心配ですが、踏ん張ってまいりましょう。

※きょうのトピックスをまとめました。
http://bit.ly/hR1Hw3

http://bit.ly/eHkRso

http://bit.ly/fRNHxi

http://bit.ly/fn7wWr

http://bit.ly/her5K4

http://bit.ly/enQB36

【追記】
▽世界最大級M9・0に修正 東日本大震災(北海道新聞 3月13日付)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/dogai/277684.html

posted by 今だけ委員長 at 17:28 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記

東日本大震災 3月12日E

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 きょうの夕刊は4頁建てのモノクロで発行。一部お届けできないエリアがありますので、ご理解とご協力をお願いします。

 徐々にライフラインが回復しているようですが、まだ余震がおさまりません。緊急避難所など安全な場所で被災2日目の夜を乗り越えましょう!
 朝3時から飲まず食わずでバイク移動の一日だったため、少し疲れたようです。興奮しているので眠気はないのですが、顔がボーっと熱っぽくなっています。
posted by 今だけ委員長 at 17:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | こせきかつや通信

東日本大震災 3月12日D

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南町通りに面した「みちのく銀行」の壁面が崩れて大変危険です。
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河北仙販上杉支店では「水」と「トイレ(男・女)」の提供を行っています。
posted by 今だけ委員長 at 16:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | こせきかつや通信

東日本大震災 3月12日C

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道路が隆起しているところがたくさんあります。
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旭ヶ丘にある神社の鳥居。根元から折れていました。
posted by 今だけ委員長 at 15:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | こせきかつや通信

東日本大震災 3月12日B

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コンビニには食料と水を求めて長蛇の列が・・・
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みやぎ生協木町通店
posted by 今だけ委員長 at 14:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | こせきかつや通信

東日本大震災 3月12日@

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けさの朝刊作業「約束は守る」と折込チラシも組み込んで配達しました。
だいぶ配達に時間がかかりましたが、無事に終了(10時頃)
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会社の外壁は何とかは大丈夫ですが、事務所は崩壊です。
posted by 今だけ委員長 at 14:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | こせきかつや通信

2011年03月11日

東日本大震災 3月12日A

 けさ7時頃、仙台市立榴岡小学校(緊急避難所)へ河北新報朝刊を持って行きました。河北仙販では宅配に加えて、できる限り緊急避難所へ
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新聞(情報)をお届けしています。
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緊急時に必要なのは正確な情報です。できる限り配ります。
posted by 今だけ委員長 at 14:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | こせきかつや通信
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