2010年01月31日

言うまでもありません「信頼」が新聞の生命線なんです

 公益財団法人新聞通信調査会が2009年9月11日から30日までに実施した「第2回 メディアに関する全国世論調査」の集約結果が公開(1月21日にプレス発表、29日HP公開)されました。
▽2009年メディアに関する世論調査結果
http://www.chosakai.gr.jp/notification/pdf/report2.pdf
ちなみに2008年メディアに関する世論調査結果はこちら↓
http://www.chosakai.gr.jp/notification/pdf/report.pdf


 今回の調査を行った新聞通信調査会とは、現在の共同通信社と時事通信社の前身だった同盟通信社(1945年に解散)の資料と調査研究部門を引き継いだ「通信社史刊行会」が1960年に現在の新聞通信調査会として改称した組織。ジャーナリズム及びマスコミュニケーションの調査研究、これに関する図書・資料の刊行、講演会・研究会等の事業を軸として活動しています。でも業界関係者以外にはあまり知られていません。


 今回の世論調査の方法を見ると、住民基本台帳の閲覧用リストを用いて無作為に全国各地の18歳以上のサンプル5000人を対象として調査員が直接訪問して集めた調査結果だけに、インターネットを使えない方の意見が省かれがちな最近のデータ集約結果よりその信ぴょう性は高いと思います。

 集約結果を大まかに分析してみると、「情報の信頼度について」では、新聞が08年の調査時に72.0ポイントだったものが、09年は70.9ポイントで1.1ポイント下がりました。インターネットは58.2ポイント。「新聞の印象について」では、08年が@信頼できる(67.2)A教養を高めるのに役に立つ(63.1)B情報源として欠かせない(59.3)C社会的影響力がある(58.7)D情報が正確である(56.9)との結果に対し、09年は@情報が信頼できる(62.1)A社会的影響力がある(59.4)B情報源として欠かせない(57.8)C情報が役に立つ(54.8)D手軽に見聞きできる(51.5)となっています。
 まだまだ新聞の情報の信頼度は高く、約6割の人が情報源として欠かせないメディアであると答えています。この結果にあぐらをかくことなく、「信頼」に答えていかなければなりません。


 新聞広告と折込チラシについての信頼性については、次のように解説されています。30代以下では折込チラシへの信頼感が高いのに対して、50代以上では低くなってくるというのも興味深いデータです。(以下一部引用)


 新聞広告、新聞折込について、全面的に信頼している場合は10点、全く信頼していない場合は1点として点数化したところ、「新聞広告」は5.7点、「折込広告」は5.6点となっている。また、6〜10点を信頼している層、1〜5点を信頼していない層に分けてみると、「信頼している」層は「新聞広告」45.2%、「新聞折込」43.0%とともに半数を下回っており、信頼感は不足していると言えそうである。
 年代別にみると、30代以下では、「新聞広告」の方が「新聞折込」より信頼感は高いが、50代以上では、「新聞広告」の方が信頼感が高くなっている。


 言うまでもなく、新聞の生命線は信頼なのですから、それを損ねるような問題があるとすれば解消していかなくてはいけません。
 新聞社を退職された方が「販売のブラックボックス」などと暴露本を出版して儲けているようですが、現役時代には口をつぐみ、「その時の立場では言えなかった」という言いわけをして、退職してから「(押し紙問題など)これはおかしい」というのもどうかなぁと。在職中は黙っていることで地位を高め、退職後は暴露することで儲けるという、おいしい思いの二重取りには憤りを感じますね。なんだかなぁと。


 余談ですが、最近よく歌うカラオケを紹介します。「スタートライン」。同じような思いの人がいたら、がんばりましょう!

    


▽新聞、NHKの“信頼度”70点台 ネットは58点(産経新聞:1月22日)
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/media/100122/med1001221533002-n1.htm
▽将来の新聞の役割についてどう思う? 世代によって違い(Business Media 誠:1月28日)
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1001/28/news012.html

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2010年01月28日

唯一生き残るのは、変化できる者である

 「次に来るメディアは何か」の著者で、元毎日新聞社常務取締役を務めた河内孝さんが、マイコミジャーナルで連載中のコラム「メディア革命」(1月26日付)に「日経電子版の創刊に見る"販売店"という呪縛」を寄稿しています。

 米国のメディア事情にも詳しい河内さんの指摘は、日本経済新聞社が今年からスタートする予定の電子新聞の販売価格を「日経本紙を提起購読していればプラス1,000円で電子新聞も閲覧できる」という設定に対して、「読者の購読情報は販売店が有しているため、確認作業に面倒な手間がかかる」という問題提起と、販売店側が「発行本社側に顧客データが蓄積されてゆくことは、販売店が蓄積した顧客情報が流失するという不安を抱えている」との解説をされています。だから電子新聞の成長がどうなるということには触れていませんが、販売店との顧客データのやり取りが障壁となるのではないかと警笛を鳴らしています。

 今年1月からウェブ新聞「webun」を創刊した北日本新聞社では、webunの購読は「紙」の定期購読者は無料で利用でき、無購読者や配達されない地区に住む顧客に対しては月額2,100円(税込)の購読料を支払うシステムを導入。日経の電子新聞は「紙」購読者には定期購読料に1,000円の上乗せとなります。来年からオンラインサイトの有料化に踏み切るニューヨーク・タイムズも同じような手法で、いずれも「紙」と連動させる価格設定となっています。


北日本新聞社のHPより
 webunは会員制のウェブ新聞です。北日本新聞をご購読なら会費は一切必要ありません。会員登録をするだけですべてのコンテンツを利用できます。
 現在は未購読でも、1カ月以内に購読を開始していただける場合は即座に会員登録が可能です。会員登録のオンライン手続きにしたがい、購読申し込みを行ってください。
 県外や海外など配達区域外にお住まいの希望者は、月額購読料2,100円(税込み)のwebun特別会員として入会できます。特別会員に限り、朝刊紙面イメージは当日版から拡大でき、掲載記事も読むことができます。


▽販売店と交わした新聞購読契約の有無は個人情報なのだが…
 2005年4月から施行された個人情報保護法では、個人情報の数が過去半年間のいずれかの日に5,000件を超えた場合は「個人情報取扱事業者」となり同法律が適応されます。新聞販売店の多くは5,000世帯以上のエリアを管轄しているため、個人情報取扱事業者です。本来、販売店が顧客と新聞購読契約を結んでいるという個人情報の開示は、事前に顧客へ告知していない限り当然違法となるのですが、顧客と交わす新聞購読契約書には「必要に応じて新聞発行元に提供いたしますので、あらかじめご了承ください」との記載があるのでクリアしたことになっています(契約書を結んだ際にきちんと説明しているかどうかは分かりませんが)。
 また、顧客情報(購読の有無)の照会は、それぞれの新聞社と販売店での契約内容によって違うと思いますが、ほとんどが「新聞社の求めにより販売店は開示しなければならない」と定めてあるので、販売店は新聞社からの顧客情報開示請求(購読の有無について)に応じなければならないというわけです。

 さて、その手間は河内さんが指摘する以上に面倒なものになると思います。
 顧客の購読の有無を照会されたときは購読していても途中で契約を解除された場合に、販売店側から新聞社へ逐一連絡するとは到底思えません。「購読しているかどうか」のクリーニング(北日本新聞は毎月確認を行うとのこと)を定期的に販売店へ要請して「グレーゾーン」を見抜くしかありませんし、「会社で購読している」といった場合の対応も線引きが難しくなってきます。西日本新聞(新聞社の資本が入った販売会社と)が行っている読者台帳のオンライン化でもやらない限り、「NHK受信料を払わないでテレビを見る」(変な例えですが)ユーザーが膨れ上がることも否めません。
 また、新聞の購読は「1世帯に1部」の契約なので、世帯主しかセット割引(日経の場合)の対象にならないのかな?1世帯に居住する家族全員に電子新聞が閲覧できるアカウントが発行されるのかどうかも興味があるところです。


▽販売店も生き残りをかけて自立することが求められる
 このデフレ経済では、メーカー(新聞社)が流通部門を飛び越えて顧客と直接商品の売買を行うことは、すでに日常茶飯事なことです。特に電子データの配信はサーバ管理にこそコストはかかりますが、現物(紙)を運ぶことがなくなるので流通部門は縮小せざるを得ません。とかく「車の両輪」といわれて新聞社の要請のもとに新聞を買い続けてきた販売店(特に自営店は)は悲観的になりがちですが、これは仕方のないことと割り切らなければならないと思います。インターネットの登場によって社会や流通のあり方が変わっていくのですから。

 新聞社も当面は「紙」ビジネスをやめることはしないでしょうが、販売店もほかに勝るコンテンツを武器(これまで培った企業資産)にさまざまな事業を模索していかなくてはいけないのだと思います。チラシだけを宅配する業者が出てくるように、さまざまなアイディアを出していかなくちゃいけない。新聞社も生き残りをかけてなりふり構わなくなってくるのだから、販売店も自力で生き残りを考えないと。そのための障害や規制があるのであれば早めに取り除かないといけませんが…。


 自分の食いぶちを守ることは当然のことです。生きるため、家族を守るためには現状のビジネスモデルに固執し、時代の変化に抗う(実は私もその口ですが)こともひとつの道ですが、時代の変化を受け入れて柔軟に対応していくことも必要ではないでしょうか。民主主義を守るために新聞は必要だと思っているので、紙であれ、ネットであれその組織ジャーナリズムの機能を残すために新聞社と販売店が今こそ手を携えなければならないのですが、片務契約といわれる搾取構造のもとでは販売店の恨み節しか聞こえてこないのが残念です。

(最近その説があやしくなっていますが)ダーウィンの進化論をあらためて思い返します。
『最も強い者が生き残るのではなく、 最も賢い者が生き延びるでもない。 唯一生き残るのは、変化できる者である』
 いま新聞産業に求められていることだと思うのですが、まだその「変化」をまわりにばかり求めているような気もします。

▽日経電子版の創刊に見る"販売店"という呪縛
http://journal.mycom.co.jp/column/media/045/index.html
▽webun会員入会案内と手続き(北日本新聞社)
http://webun.jp/info/e_guide.html

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2010年01月25日

免許制ではない新聞記者 最後は人間の強さと見識なのかな

 新聞の役割の一つに国家権力の監視というものがありますが、このところ政権与党の幹事長の「疑惑」に多くの紙面が割かれています。それだけネタがないのかなぁ。

 インターネット上の個人ブログ(最近はツイッター)などを読んでいると、原口総務相などの閣僚や民主党議員が「(小沢氏疑惑について)新聞の報道が『関係者によると…』という書かれ方がされているが、誰から得た情報なのか取材源が明かさずメディア側が意図的に話しをでっちあげているのではないか」という内容のメディア批判がなされています。
 一方、新聞社をはじめメディア側は「取材源の秘匿は当然であり、それによって得られるニュースソース重ねあわせて裏が取れた段階で記事化している。決して権力側(今回の場合は東京地検関係者)からのリークではない」と主張しています。

 生活者からすれば、小沢氏が違法行為をしているならば当然罰せられるべきだし、政治家としての社会的責任は免れないと思います。で、それを解明するのは検察・警察の仕事であるのですが、最近の新聞報道を読んでいるとあたかもそれ(小沢氏の疑惑)をジャッジするのはメディア(新聞)の役割なのだと言わんばかりの妙な正義感がプンプンします。
 私だけが感じているのなら撤回しますが、また紙面がワイドショー化されているような気がしてなりません。

 表面化しない問題を掘り起こして社会へ訴えることはとても大切なことだと思っているし、新聞社の組織的な取材活動によってこれまでも多く問題を追求してきたことは間違いはありません。確かに政権与党の幹事長の「疑惑」なのでニュース性は高いと思いますが、ワイドショー化した報道の在り方に違和感を覚えます。
 新聞が権力をチェックするように、新聞もまた世論誘導装置としてほかの権力から利用されないように、自らをチェックすることも重要ではないでしょうか。「新聞を監視する機能を作れ」なんてことがあってはならないのですから。


 小沢疑惑の一連の報道に関して、北海道新聞社の高田昌幸さんが運営するブログ「ニュースの現場で考えること」を大変興味深く読ませていただきました。更新も4カ月くらい放置されていたのですが、きのうから鋭く、かつスカッとするエントリーを書かれています。
 ブログを読んだ感想は、新聞記者になる資格は何だろうということ。免許制でもないし、これまで先輩方がやってきた取材(夜駆け、朝駆け)をみっちり叩き込まれ、そして先輩が現場を離れてデスクになり、偉くなると「まぁまぁそんなこと言わないで…」と闘わない人(すべての方がそうでなないと思いますが)になってしまう。それの繰り返しだから、新聞社は同じようなことを繰り返しているのではないかなぁと。新人記者が熱血漢に溢れて事件を追い、真実を社会へ知らせるという使命感(多くの生活者が描く新聞記者像)のようなものが忘れ去られているか、そのような人材が(業界を去り)失われているのではないか、という感じを受けました。
 もう1点は、なぜこのような見方を紙面には書けないのかということ。個人ブログでは書けるけれど、何がどう絡むのか新聞社(業界)の編集体制の奥底にあるものは分かりませんが、読者は膝を打ちながら読むでしょうね。なんかもったいないような気がします。

 高田さんとは5年前にローカルメディアネットワーク(地方紙の若手社員の集まり・もちろん業務外です)の会合でお会いし、酒席をご一緒したことがあります。「販売店は大変でしょう。学生時代に新聞奨学生をやっていたからわかるよ」というような会話をしたことを覚えています。こういう記者の方が身近にいると心強いだろうなぁとも思いましたね。

 個人名を出してブログを運営している新聞人(特に記者の方)はとても少なく、仕事上でも個人の意見を発信することに対するハードルは高いと思います。でもブログは読み手の意見がダイレクトに返ってくるツール。新聞業界の中だけで自分の意見を述べても、その賛否の声が世間相場と一致しているとは限りません。逆に離れていってるような感じさえします。ぜひ新聞記者の方には、自分の立ち位置を確認する意味でもブログにチャレンジしてみることをお勧めします。

 このところ、販売に関する問題が消沈気味なので販売店労働者の分際でいろいろ書いてきましたが、ご異論がある方はぜひコメントを寄せてください。


「ニュースの現場から」
▽「捜査情報」は「捜査情報」と明示せよ(1月19日)
http://newsnews.exblog.jp/13526663/
▽リークと守秘義務(1月19日)
http://newsnews.exblog.jp/13526982/
▽続・リークと守秘義務(1月20日)
http://newsnews.exblog.jp/13528722/
▽検察の「伝統」(1月21日)
http://newsnews.exblog.jp/13538890/
▽「リーク批判」に対する新聞の「言い分」(1月24日)
http://newsnews.exblog.jp/13562517/
▽開示請求と取材(1月24日)
http://newsnews.exblog.jp/13563297/

【追記】2/6
「小沢疑惑を広めたから特捜部の捜査は価値がある」のか?(2月6日)
http://newsnews.exblog.jp/13669531/

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2010年01月22日

上から目線ではなく、もっと「顔」が見える商品力の改善と工夫を

 ひさしぶりに「あらたにす」のネタを。
 元朝日新聞論説副主幹の桐村英一郎氏のコラム(新聞案内人)「危機をあおるのが新聞の役割か」には、先週行われた岡田外相とクリントン米国務長官の会談の報道のあり方について問題提起されています。


(以下引用)岡田外相とクリントン米国務長官が12日、ハワイで会談した。今年が1960年の日米安保条約の改定から50周年にあたることから、日米同盟を深めるための協議を始めることで一致した。
 一方、普天間飛行場の移設については、名護市辺野古への移設という現行計画にこだわる米側と、「5月までに結論を出す」とする日本側はかみ合わず、各紙の報道には「懸案の先送り、棚上げ」「つかの間の友好ムード」「協調の演出」といった表現が目立った。
 普天間の移設は大事なことには違いないが、「一基地」と「日米同盟の将来」のどちらがより大きな問題か明らかだろう。「現行計画の通りにしなければ、日米関係はどんどん悪化する」かのような報道でいいのか、首をかしげたくなる。
(中略)
「負担はいやだ。受益はもっと」という国民の身勝手が政府の赤字を天文学的に膨らませた。大都会は「快適な生活はほしい。でも放射能はごめんだ」と原発を地方に押し付けた。「普天間の県外移転」は鳩山内閣だけが悩み、周りがそれをあれこれ批評する事柄ではなかろう。
 新聞はなぜもっと「あなた方みんなの問題ですよ」と、読者に鋭く迫らないのか。(引用終わり)

 確かに、桐村さんが主張されていることは理解するのですが、全国紙的な視点(もっとも“あらたにす”は朝日、読売、日経のサイトなのでよいのですが)というか、われわれ(新聞)が国民(読者ではなく)に対して訴える(誘導する)という新聞社の社説のにおいがプンプン感じました。
 いろいろな事象の見方を的確に解説してくれる新聞(特に社説のような)の存在はありがたいし、今後も必要なのですが、「上から目線」が今の無購読者(最近の無購読者の括りは年代では表せません)との距離をさらに広げているのではないかと思いました。

 新聞は「天下国家を語る」のがその役割だと思っている節も強く感じられるのですが、いまやジャーナリズムという定義は、報道の原則、報道の原理、報道と中立性、報道と正確性はそのメディアの責任の問題として、シビック・ジャーナリズムなど市民を巻き込んだ取り組みも進められています。イエロー・ジャーナリズムは個人的には好きですが、それはさておいて…。
 「社説」が最も読まれていると思っている新聞人はいないと思いますが、もっと生活者にとって訴える明確な主張をしていかないと「新聞社の顔」が、ぼやけてしまうような気もします。その点、産経新聞ははっきりしていますね。私は読んでないけど。


 政治問題や国際情報などの一次情報(通信社からの配信)は、速報性に優れるテレビやインターネットで入手できるわけですから、各社ほとんど同じに扱われる1面のトップ記事だけ読んでいるという読者の多くは「どこの紙面を見ても同じだ」となるわけです。それこそ、勧誘時のオマケや折込チラシの量を優先して購読紙を決めたりしています。でも、それではパッケージ・メディアとしてさまざまな情報が詰まっている新聞の必要性は浸透しないのだろうと思います。これまでも新聞を隅から隅まで読んでいる人というのはよっぽどの暇人(語弊があったらゴメンナサイ)かそれを職業としている人でしかないわけで、自分の興味がある情報をその新聞が取り上げているか(毎日、目を通すことでそれを見つけられるか)が、これからの(読者の)新聞の必要性へのプラスα部分に大きく関わってくると感じています。

 そのひとつは、地方紙であればコアな地域情報であるし、市民の顔、記者の顔をもっと出していくことも必要だと考えています。読者からの情報提供の受け皿を広くするとか、1頁面を市民に提供する(精査は必要ですが)こともオモシロいと思います。「それは新聞の編集権が許さない」となるでしょうが…。

 読者の維持や拡大にはこうした商品力の改善と工夫が伴わないと、継続的な収入確保は難しいのです。新聞セールスでオマケを提供して、数カ月は定期購読をしても継続されなければ部数は減っていきます。そしてやめる読者を上回る新規読者を獲得するために莫大な経費を使うという自転車操業になっていくのです。それは販売店の問題で新聞社には関係ないと言われますが、そう言っているだけで何か改善することがあるのでしょうか。

 新聞社に勤めている人たちの多くは、購読契約をした読者はずっと積み上がっていくものだと理解している人が多いのですが、新聞の必要性を感じ定期購読をはじめる読者以上に、商品力の魅力(費用対効果なのでしょうか)を見いだせずに、定期購読をやめていく人の数がそれを上回っているのが現状です。


 部数が減ると騒がれる「紙面改革」。自分たちの都合だけで考えていませんか。それは、すでに「上から目線」になっているのですよ。



▽危機をあおるのが新聞の役割か/桐村英一郎(あらたにす「新聞案内人」より)
http://allatanys.jp/B001/UGC020005620100121COK00470.html

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2010年01月21日

NYTがオンライン記事を有料化 パッケージではなく単体の記事コンテンツは売れるのか?

 きょうの深夜(日本時間)、ニューヨークタイムズ(NYT)が2011年からオンラインサイトを有料化へ切り替えることを発表しました。

 記事コンテンツを無料配信することでアクセス数を稼ぎ、そのPV数によって広告収入をあげるという新聞社のビジネスモデルは失敗に終わったということです。リーマンショック以前から新聞社サイトの広告収入は大きく落ち込み、記事の有料化に向けた研究がおこなわれてきました。実際には新聞社がその仕組みを研究していたのではなく、ネット企業が依頼を受けて課金システムの開発に取り組んでいました。
 今回NYTが導入する課金システムは、一定本数のオンライン記事は無料で閲読できるものの、それ以上の記事は有料となるメーター型課金システム。また新聞紙の定期購読者には追加料金なしで全てのオンライン記事を閲読できる(メディア・パブより)とのこと。ある意味「紙」への誘導の道も残した格好です。日本では北日本新聞がこれと同様のシステムを導入しています。

 ともあれ、昨年末にルパート・マードック氏がニューズ・コーポレーションの傘下にある新聞社のオンライ記事を有料化にすることを宣言してから1カ月も経たないうちに、今回NYTも有料化の方針を出したことによって、いよいよ米国新聞社は生き残りをかけて新聞紙としてのパッケージ販売から、オンライン記事のコンテンツ販売へ舵を切ることになるようです。

 ただし、米ハリス・インタラクティブ社が米国の成人を対象に行った「新聞オンライン版の有料化」に関する調査によると、77%の人が「有料なら読まない」と答えており、どの程度の効果がもたらされるのか前途多難であることは間違いありません。


 時事通信を昨年末で退社した湯川鶴章氏が編集長を務めるTech Wave(ライブドアが運営)に「日本の新聞社も有料化の後追いは必至であるが、失敗することも必至」とのコラムがアップされています。要約すると

・・・良質の記事を作るためにはコストがかかる。そのコストに見合う収入がほしい。だから有料化したい。有料化を熱心に語る社の言うことは分かる。でもネット企業からの配信料収入もほしい。ネット企業への配信をやめたからといって有料化でそれ以上の収入を得ることが可能かどうかまったく分からない。有料化を熱心に勧める他社が収入を保証してくれるわけでもない。
多くの関係者が「ネット企業への配信を減らして、新聞記事は各社のサイトで有料で読めるようにするしかない」「そうだ、そうだ」と言っているとかいう話も聞こえてくる。でも複数の関係者は僕に対しぼそっと「表向きは賛同しているようには振舞っているけど、この状況でネット企業からの配信料収入を自ら捨てるというのは結構厳しい選択になるんだよね」というようなことを語っている・・・


▽New York Times、有料化の方針を発表=日本の各紙も後追い必至、そして失敗必至(Tech Wave 1月21日)
 http://techwave.jp/archives/51374669.html


 
新聞記事や雑誌の摂取環境が「紙」から電子ブックリーダーなどの携帯端末へどの程度移行するかによって、オンライン記事の有料化のへの理解が深まってくるようにも感じます。まぁこれだけ営利を目的にしない(専門性の高い)個人ブログが出回っている昨今、記者クラブのオープン化の動きも強まってくると思われるので、既存メディアの記事コンテンツは相当魅力のあるものにしないとコンテンツ販売による売り上げの確保は難しいと思います。だからコンテンツをパッケージにして毎朝届けられる「紙」モデルが生き残るのだとは一概には言えませんが…。続きを読む
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2010年01月19日

報道せざるを得なくなったクロスオーナーシップ規制見直し

 きのうのエントリー「新聞が報じない原口大臣の『クロスオーナーシップ』禁止会見 業界の談合でないことを願いたいが…」の続きです。

 原口一博総務大臣は19日、閣議後の会見で、新聞社からテレビ局への出資を規制するクロスオーナーシップの見直しについて再び言及したことを受けて、各新聞社のサイトでも取り上げられています。これまで、この問題に関する記事が紙面に登場することはありませんでしたが、あすの朝刊には記事化されるのではないでしょうか。

 23:30時点でアップされているのは以下の3つの新聞系サイトです。47NEWSとアサヒコムのアップが遅れているのは、記事化するに値しないと判断したのか…明日の紙面が楽しみです。

▽メディアの同一資本支配、規制を議論へ…総務相(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20100119-OYT1T00649.htm
▽新聞から放送局へ出資規制 総務相が導入検討(産経BIZ)
http://www.sankeibiz.jp/econome/news/100119/ecc1001191308006-n1.htm
▽原口大臣がクロスオーナーシップ規制見直しに意欲、現行制度の有効性を検証へ(日経ニューメディア)
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20100119/343414/

 原口大臣の会見内容が新聞社によってどのように編集されたのか、上記のサイトを一読した後に会見の映像を見てみると実際の発言と文字で伝えようとしていることに微妙な違和感を感じます。
▽クロスオーナーシップは言論の多様性から見て問題(ビデオニュース・ドットコム プレスクラブ1月19日) ↓のサイトから会見の映像が見れます。
http://www.videonews.com/press-club/0804/001337.php


 新聞とテレビ局は広告収入の大きな落ち込みによって、さらなる業務提携が進むのではないかとみる向きもあります。河内孝氏は著書「新聞社 破綻したビジネスモデル」のなかで、メディアコングロマリットを早々に予見していますが、新聞社やテレビ局の経営を維持するためにホールディングス化を模索する動きも注目されるところです。フジ・メディア・ホールディングスへ参入したい産経新聞社のような事例もあり、これまでような新聞社がテレビ局を支配しているというより、上場している(市場から金を集められる)テレビ局が新聞社を系列に加えるということもあり得るのではないでしょうか。

 原口大臣が懸念する「同一メディアによる資本支配によって言論の多様性が損なわれる」という問題よりも日本のマスメディアの経営の現状はもっと深刻で、「あまりいじられたくない」というのが本音のような気がします。
 また、メディアの資本融合によって言論統制のようなことが起こる可能性があるとすれば、そこで働く新聞人や労働組合がきちんとその役割を果たさなければいけないと思います。「会社が大変だから…」と何でものみこんでしまうと、生活者の信頼を損ねることになるのだと改めて考えて欲しいものです。日本新聞労働組合連合の新聞研究活動にも今回の報道の在り方などを検証してもらいたいものです。

 18日から始まった通常国会には「通信・放送の融合法案」が提出される予定ですが、クロスオーナーシップの規制見直しについては、「まずは議論を進めていきたい。この国会で実現できるかどうかは、まだ言える話ではない」というに止めた原口大臣。新聞はこの問題の本質を分かりやすく解説し、その争点を読者へ提示してもらいたいと思っています。

 ちなみに、14日に開かれた日本外国特派員協会で行われた記者会見の映像もユーチューブにアップされていました。


posted by 今だけ委員長 at 23:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年01月18日

新聞が報じない原口大臣の「クロスオーナーシップ」禁止会見 業界の談合でないことを願いたいが…

 新聞やテレビのマスメディアが報じられるものは、社会で起きるさまざまな情報をそれぞれのメディア企業の編集責任者(デスク)が取捨選択して伝えられます。社会生活を営むものにとって情報の価値判断をしてくれるのはとてもありがたいことだし、新聞やテレビで報じられるものがひとつの基準となってきました。
 長い歴史の中で培われてきたメディアの信頼性は単に情報を伝えるだけではなく、間違いを正す批判精神であったり読者や広告主におもねらない姿勢、いわゆるジャーナリズム活動の必要性を読者も認め、新聞業界もそれをより所にしてきたと思っています。


 しかし、最近の多メディア時代の到来によって、新聞やテレビが(意図的に)伝えないことが露呈してきました。自分たちに都合の悪い情報は記事にしない、放送しないという情報操作が行われているとしたら、読者はどう感じるでしょうか。


 1月14日に日本外国特派員協会で行われた記者会見で、原口一博総務大臣が「プレス(新聞)と放送が密接に結びついて言論を一色にしてしまえば、多様性や批判が生まれない」として、新聞社が放送局を支配する「クロスオーナーシップ」を禁止する法律を制定したいという考えを明らかにしました。要約すると、@新聞社がテレビ局に出資することを制限するA有限なリソースである電波を独占状態から開放するB放送局認可権限を総務省から切り離すC総務大臣の行う記者会見を全てのメディアに公開する(記者クラブの完全開放)というもの。
 読売新聞と日本テレビ、朝日新聞とテレビ朝日、日本経済新聞と東京テレビという新聞社と放送局が資本関係(資本家が実質同じ)にあることによって、(テレビが新聞社の意に沿って)偏った情報提供になっているのではないか―ということを原口大臣は問題視しています。

 現在も放送会社には「放送局に係る表現の自由享有基準」が存在し、クロスオーナーシップを制限する規定があるので、「原口大臣は法律制定を主張しているが、現行の基準で問題ない」という解説でもしてくれればよいのに、残念ながらこの会見を伝える紙面は見当たりません。外国のメディア記者を対象にした会見での発言なので記事化されなかった?現職大臣の発言を取り上げないのはやはり違和感があります。

 私もツイッター経由でビデオジャーナリストの神保さんのサイトを見て、原口大臣の会見内容を知りました。そのツイート(書き込み)には「原口大臣のクロスオーナーシップ禁止発言について。『そんなことできっこないから、どこも報じてないんだよ。』友人のテレビ局幹部が(多分)親切心から解説してくれました」と皮肉られていました。

 いろいろググってみると、「新聞・テレビの猛反発は必至 総務相『新聞社の放送支配禁止』表明」(J-CASTニュース)、「新聞の押し紙問題がテレビで議論され、テレビのスポンサー介入問題が新聞で報じられる」などの記事がアクセス数を伸ばしています。ツイッター上では、「(新聞の)再販制度」が引き合いに出され、「テレビは再販制度のことを全く報じない。これは新聞の不利益になるからだ」と冷ややかな論調がどんどん更新され、またその論に上塗りされてマスゴミ論へと行きついてしまうのはいただけない。でもメディア関係者(個人ブログやツイッター上で)がこの点について意見を発しないことも残念なことです。論戦になっても理屈が立たないから“だんまり”を決め込んでいるのかなぁ。

 新聞記者の皆さん。この原口大臣の会見内容は社会へ伝えるに値しなかったのでしょうか?その説明をしてほしいと思っている人は少なくないと思います。地方紙にしても共同通信からの配信を受けて、「これは記事化する価値がない」と判断されたのであれば、その新聞社の判断ですから問題ないのですが、業界内で口裏を合わせて「この会見内容は新聞業界にとって不利に作用するからシカトしよう」と談合したのであれば問題です。

 どこの会社も人間も完ぺきなものなどあり得ません。でも信頼で商売をしている新聞業界はできるだけ完璧を目指さないといけない。だからいろいろな問題を正し、民主党の小沢幹事長ではありませんが、後ろ指さされない企業運営をしていかなくちゃいけないと思うのです。

 辛口で元気がよかった記者も会社の経営が厳しくなってくると、社内で睨まれまいと大人しくなってしまったのでしょうか。でも厳しい時だからこそジャーナリズムを担う職業として新聞社に勤める記者の方には頑張ってほしいのです。新聞をつくっている人がヘタレたのでは、販売労働者も活気が出ないじゃないですか。
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2010年01月15日

新聞の役割を感じてもらいたいドラマ

 亡くなった方6千人…阪神淡路大震災から15年が経過しました。

 生活が一瞬にして崩壊してしまう自然災害。特に地震は建築基準などの偽装による「人災」も指摘されているわけですが、自然の猛威の前でいかに人間の力が微力なものかを考えさせられ震災でした。

 1978年に起きた宮城県沖地震を経験している私は、当時10歳。広瀬川で友人らとウナギ捕り(当時は捕れたんです)をしている時(時刻17:14)にドーンとという地響きが起こり、目の前にある八本松マンション(太白区)や千代大橋がぐにゃぐにゃと波打つ光景が今でも目に焼き付いています。ほんと怖かったです。

 自転車で急いで自宅に戻ってみると、屋根は残っていましたが家の中のほとんどのモノがすべて倒れ、ガラスは散乱していました。10世帯ほどの長屋に当時住んでいたのですが、泣き崩れている子供たちやおろおろするお年寄り…。あの時のような恐怖感は、その後味わったことがありません。

 でもあの時、ご近所さん同士で一緒にご飯を食べ、大人も子供も役割分担をしながらそれぞれの家のかたずけをしたことも記憶に残っています。ろうそくの灯火の中で食事をしながら、3軒隣のおばあちゃんが昔話をしてくれました。一晩中流れるラジオの音が子守唄にもなっていました。

 戦争が起きるともっと怖い思いをするのだろうなぁと思いながら、平和な世の中が一番だし、そのためには笑顔を絶やさず生活していかなくちゃと思っています。

 だいぶ話が横道にそれましたが、ドキュメンタリードラマ「神戸新聞の7日間」があす16日、フジテレビ(12ch)で放送されます。時間帯は午後9時〜11時10分まで。
自らも被災した新聞社員が1日も休まずに新聞を出し続けた「新聞社の役割」とは何か?そんなことを視聴者に感じていただければいいのではないかと思っています。
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 神戸新聞では「震災15年ブログ」を1月末まで期間限定で解説し、新聞紙面で取り上げた震災報道などがアップされています。

※けさの河北新報:河北春秋より
「僕には撮れない」。桜井翔さん演じる若手カメラマン…
http://www.kahoku.co.jp/column/syunju/20100115_01.htm
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2010年01月14日

次は新聞か…

▽電通の2009年12月売上高、インターネットが雑誌を抜く--テレビ、新聞に次ぐ存在に(アサヒコム 1月13日付)
http://www.asahi.com/digital/cnet/CNT201001130101.html


 次は新聞か…。


 ツイッター上では上記の記事を読んだ(もちろんネットで)方々が、こうつぶやいています。


 新聞広告の現場も相当の努力をしているのですが、リーマンショック以降の広告費の激減とかいうのではなく、メディアの多様化によって情報摂取のシステム自体が変わってきたのですから、いずれ新聞への広告費もネットメディアに追い抜かれることでしょう(販売収入のみで新聞産業を成り立たせるという議論は別な機会に)。
 しかし、ネットメディア系企業はヤフーやグーグルなどの大手ポータル意外に相当数あるわけですから、その広告費を分散すると、まだまだ新聞社の一社当たりの広告収入より低いわけです。いずれ、紙メディアからスマートフォンなどの個人モバイル端末へと移り変わるまで、販売収入で持ちこたえながらいろいろなビジネスを模索することが求められていると思います。


 ただし、こんな話は「お節介」なことなのかもしれません。


 先日、ある新聞広告を主に取り扱う広告会社の新年講演会にうかがう機会がありました。地元企業の経営者と、その広告会社で顧問をされている方の講演だったのですが、その顧問の方の話はとても一般の人には聞かせられない内容でした。
 全国の新聞経営者との親交があると誇張するのはよしとして、電通主催の大新年会へ参加して「社長に“あなたあと10年は社長やりなさい”と言っておきました」と強弁するのです。あと10年は、電通はその広告会社に広告を出すから大丈夫と言わんばかり。その顧問の方はそれだけの権力を持っているのだということを主張したかったのでしょう。

 これまでは、そのような人間関係で通用してきたのかもしれませんが、新聞社の権力(媒体力)を過信しすぎるととんでもない過ちを犯しそうでザワッとしました。前列で聞いているその会社のお偉いさんはその一言一句に大きくうなずき、後方にいる従業員の方は「また始まった」という表情をされていたのが印象的でした。これが企業病というヤツなのかなぁと。


 そして電通は着々とネット系の広告取り込みに向けて子会社をせっせと設立し、時代にあったビジネス戦略を構築させています。さすがは世界の電通。

▽電通、インターネット広告の地域ターゲティング事業の新会社を設立
http://journal.mycom.co.jp/news/2009/12/24/020/index.html
▽電通子会社のcci、スマートフォン向け広告事業に参入
http://japan.cnet.com/marketing/story/0,3800080523,20406151,00.htm

 社会のシステムの変化を受け入れられない世代の方が、過去の成功事例にすがらざるを得ないということは分からなくもありませんが、逃げ切れる世代の方々に考えてほしいのは、変わりゆくメディアの将来にどう対処していくかを本気で考えてほしいということです。実際に考えて動くのは中堅以下の従業員なのですから、「もうちょっと待って…」「編集系がうるさくて…」という言いわけをしないで本気で考えてほしいのです。

 業態の根本を変えるくらいの改革でもしないと、規模縮小だけでは済まない時代になっていくことだけは間違いありません。ペーパーメディアは新聞をこよなく愛読してくれているシルバー世代からの販売収入とともに縮小路線を歩むだけ、となってはダメなのだと思います。


 このようなことを考える時点で、組織からもダメ社員扱いされるのが新聞業界。不都合な真実から目をそらさずに、もっと現実の社会システムの変化に敏感になるべきだと思うのですが、どうでしょう。
 そのような体質改善ができない業界に嫌気をさして去って行った方も少なくないのですが、まだやり残していることはたくさんあるはずです。だからこんなブログも夜な夜な書いているわけですが…。

posted by 今だけ委員長 at 00:43 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2010年01月12日

きょうのクローズアップ現代は新聞特集

 きょう、NHK総合で19:30から放送されるクローズアップ現代の特集は
「新聞・押し寄せる変革、日米は」です。

 米国の新聞社の現状が主な構成のようですが、日本新聞協会の内山斉会長(読売新聞グループ会長)や読売、朝日との委託印刷を展開する新潟日報社などが登場するようです。立花隆さんの新聞産業への考察もうかがってみたいと思います。


 「新聞の危機」だけでなく、業界のエゴにならない程度に新聞の活用術やマスメディアの必要性などを生活者の視点で解説してもらいたいものです。


NHK0-2_edited.jpgNHKクローズアップ現代HPより―
 私たちにとって身近なメディア・新聞をかつてない変化の波が襲っている。
 世界の新聞ジャーナリズムをリードしてきたアメリカ。収入の7割を占める広告収入が、インターネットの拡大や不況によって激減。新聞の廃刊が相次いでいるのだ。ピューリッツアー賞を何度も受賞してきたニューヨーク・タイムズ紙や、西海岸を代表するサンフランシスコ・クロニクル紙など有名新聞社も経営難に陥っている。新聞社が消えたことによってジャーナリズムの「空白」が生まれ、汚職や選挙違反が増加するのではないか、との専門家の指摘もあり、ジャーナリズムをどう守るのか、国を挙げた議論も始まっている。一方、収入の7割は販売に依存し、経営構造がアメリカとは違う日本でも、将来の生き残りを賭けて新聞業界の取り組みが進められている。日米の現状を通じて、新聞ジャーナリズムの行方を展望する。(ゲスト立花隆氏)


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2010年01月11日

メディア・コングロマリットから「メディア・インテグレーター」へ

次に来るメディアは何か.jpg
次に来るメディアは何か
著者 河内 孝(ちくま新書)740円

 昨年秋ごろから、新聞没落系の新刊(ネットでは記者クラブ問題など盛り上がっていますが…)が出ていなかったのですが、先週発売された河内孝さんの「次に来るメディアは何か」を読みました。

 河内さん自身、慶応大のメディア・コミュニケーション研究所で「メディア産業論」の講座を持っていることから、学生に対して講義した「メディア融合現象」の2年間の講義録というか、河内さんが「マイコミ・ジャーナル」などのネットメディアで寄稿した論文の“まとめ”という感じを受けました。


 第1章では、米国のメディア産業に精通されている河内さんが米国の新聞事情とジャーナリズムを保護するための米議会やNPOの動き、そしてグーグルの戦略がまとめられています。第2章の「化石のような日本メディア界」では、新聞については「新聞社―破綻したビジネスモデル」以上の考察はありませんでしたが、放送業界の分析やFCC(連邦通信委員会)ICT(情報通信技術)の解説はとてもわかりやすいものです。そして、第3章で「次に来るメディア」の結論を導いています。
 河内さんが主張する次のメディアは「メディア・インテグレーター」。横文字は汎用性が広いのですが、いわゆる無数のネットメディアをコンシェルする「個メディア」がキーポイント。この辺りの話は、坪田さん(日経メディアラボ所長)も言及しています。メディア・コングロマリットとして、「フジ・メディア・ホールディングス」(日枝会長への取材も掲載)の将来展望についても詳しく分析されています。

 そして、この書のキモは河内さんの2012年メディアの「再編政図(予測)」です。


1.日本のメディア界は、4大メジャーと2つのユニークな独立グループによる6グループに集約されていく

2.4大メジャーとは、NHK、フジ・メディア・ホールディングス、読売新聞・日本テレビグループ、朝日新聞・テレビ朝日グループ

3.独立のメディア・グループが2つ生まれる。経済情報の総合化を目指す日本経済新聞グループと、ジャーニーズ事務所、エイベックス、吉本興業連合によるコンテンツ制作と番組販売のメディア・グループ「JAY」(ジャニーズ・エイベックス・吉本)

4.通信キャリアとの組み合わせは、KDDIが朝日グループに、ドコモはフジ・メディア・ホールディングスに、ソフトバンクは読売グループと一体化する可能性が高い

5.日本経済新聞グループは、経済情報に特化した情報プロバイダーとして独立した企業経営体を維持する

6.産経新聞社は、時事通信社と合体し、フジ・メディア・ホールディングスのグループ子会社となる

 これまでは、「そんなの現実性がない」と一刀両断を食らう予測だったのかもしれませんが、この時代、どれも「あり得ないことではない」と思います。

 河内さんが07年冬にコロンビア大学院へ短期滞在中に同大学院ビジネススクールのエリ・ノーム教授が研究する「メディア・コングロマリットの生成とその功罪」が随所に引用されていますが、1944年生まれの河内さんが07年に米国の大学へ講義を受けにいく…すごい。

 新聞産業の今後というより、放送やケータイキャリアを含めた日本のメディア産業の行く末を、米国で起こっている状況に照らし合わせ、かつ政権交代によって流れが変わるかもしれない情報通信法(通信と放送の融合)の動きに当てはめて解説されています。

 「見たくない現実からは目をそらしたい」という新聞経営者へぜひ薦めたい一冊です。

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2010年01月06日

マンネリ化する年賀状と新聞を考える

 思わず読みふけった年賀状、何通ありましたか?

 今年も200通ほどの年賀状を頂戴しました。カテゴリー別にみると、勤めている会社の方からの年賀状が約半数なのですが、定式のプリントものが多くあまり個性的なものは見受けられません。一方、東京にいっとき住んでいたころに知り合った方からの年賀状は、個性的でコメントも長文です。「新年だからおめでたい話」ということに捉われず、しっかりと今年1年の目標であったり、情勢分析だったり…。特に印象に残ったのが、昨年末に経営破たんした内外タイムスの仲間からの年賀状でした。まだ労働債権の回収や同僚の再就職あっせんで大変なのだろうに、「(経営再建に取り組んだ)この3年半は貴重な財産になりました」と書き添えられていました。その彼が1月7日発売の月刊「創」へ手記を寄稿したとのこと。ぜひご覧いただきたいと思います。

 さて、私は今年の年賀状にこんなことを書きました。


 新聞販売業界に転身してから今年で19年目を迎えようとしています。この間、諸先輩方に支えられ、同僚に突き上げられながら、なんとか会社人生の折り返し地点までたどり着けたと感謝しております。
 この間、新聞産業に対する読者の視点も大きく変わってきたと感じています。訪問販売そのものを嫌う世帯が増え、顧客とコミュニケーションを取ることすら難しい時代になってきました。またインターネット社会の到来は急速なイノベーションによって、農業、産業に次ぐ情報革命をもたらし、これまで想像もつかなかった新聞社間の提携が加速しています。
 「ピンチの時こそチャンス」とよく言われます。ピンチとなった原因は、私たちの周りが変化してきたためです。ならばチャンスをつかむためには、私たちがそれ以上に変わっていかなければなりません。
 この先の新聞産業に見合った企業規模の適正化を図りながら、「宅配網、顧客DB、営業力」という販売店が有する資産を充実させ、新しい時代の新聞販売にチャレンジしてまいりたいと思っています。
 今年も引き続きご教示ご鞭撻のほどよろしくお願い申しあげます。

 年賀状も新聞と似ているのかなぁと考えてみました。

 ちなみに、2010年元旦に全国で配達された年賀状の枚数は20.9億通。前年に比べ0.5%減少したそうです。元日の配達数はここ10年、2000年の26.5億枚をピークに減少傾向が続いているのだとか。民営化されて2日も休まず年賀状を配達していただいたスタッフ(ほとんどが非正規社員だと思いますが)に敬意を表したいのですが、「民営化になったのだから当然だろう…」という声も多いようです。


 年賀状も手書きから自宅のプリンターで一斉印刷されるようになり、その内容は画一化されてきました。ある意味個性がなくなってきた。
 「年賀状(新聞も)は日本の文化だ」とか言っても若年層はメールで済ませてしまう。元旦に何かしらのアクションを起こすことだけはまだ残っているようですが…。

 そういえば年賀状も「読む」から「見る」に変わってきたような気がします。そう思いませんか?

 もしかすると新聞も「読む」ということに価値観やオモシロさを感じなくなったから、無購読者が増えているのではないかと思ったりしています。どうでしょう。


 当ブログでも何度か紹介している某新聞社の畠山さんは、毎日「はたけやま朝NWES!」というメルマガを発信しています。その数101人(1月5日時点)。「なじめーる」という機能を使ったメルマガなのですが、新聞を読んでいない人も、彼が勤める会社の新聞を読んでいなくても、発信しています。その内容は新聞の読み方を生活者目線で伝えます。自社の記事でも容赦なく批判し、他紙のイイ記事も紹介しながら、新聞の活用方法を発信しています。それも毎日欠かさずケータイに届きます。今日届いたメールは212号。


 新聞社の人から、新聞の読み方や今日の紙面のキモなどを発信されると一体感が出て新聞を読みたくなりませんか?「購読料を払っているから新聞社らしい仕事してくれよ」と言いたい読者も少なからず存在するものです。「新聞記者は地域が抱える問題を掘り起こし、行政を動かしてくれる力を持っている」読者にはそういう期待があるはず。記者の方はあまりそのような行動をしたがりませんが、「記者こそブログを書くべき」と語った「シビックジャーナリズムの挑戦」の著者、寺島英弥さん(河北新報社)のブログには関心がわくし、その内容も読者と同じ目線で心地よいものです。こんな取り組みを新聞社の人たちはやれないのかなぁ。畠山さんが101人のファンをつかんでいるなら、新聞社や販売店の人たちも同じような数のファンをつかめば発行部数は維持できると思うのですが。


 ちなみに、ツイッターでは鳩山首相へのフォロー(鳩山さんのミニブログをダイレクトに見ることができる)がこの3日間で10万超です(私もフォローしてますが)。やはり話題の中心人物だったり、組織を引っ張っている人だったり、メディアで頑張っている人だったり…「人」の言葉を直接聞きたい(読みたい)のだと思います。そこで読者は自分の立ち位置を感じ、つながっていることを実感するし、親の代から卓上にあった新聞をあらためて読んでみようと思うのではないでしょうか。新聞はこれまで「オマケ付き販売」でその価値を一方的に押し付け、記者はジャーナリズム風を振りまき善意の第三者に徹してきた。だから読者との距離が広がってきたのだと感じるのです。

 
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2010年01月04日

笑顔で1年間過ごしましょう!

 あけましておめでとうございます。

 今年の正月は米沢の実家で過ごしたので、PCは開かずケータイでさまざまな情報をチェックしてました。というか、ツイッターとニコニコ動画で暇つぶしをしていたという方が正しいのですが。

 今年はどんな年になるのか。予想するよりも行動していかなければ何も生まれません。厄年も終わり43になりますからw
 どこもかしこも厳しい状況ではありますが、「笑顔」で1年間過ごしたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

f5e1b38d79afe88f9e8e39fdaa50ccf8.jpg追伸:ふらっとの2010年かほピョンバナーがイイ感じです。気が早いのですが来年は兎年。かほピョンのキャラクターが登場してちょうど12年です。
posted by 今だけ委員長 at 10:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | こせきかつや通信

2010年01月02日

2010年 新聞経営は新たな収入源の確保が課題に

 新年明けましておめでとうございます。
 今年の正月は配達作業に従事せず、大晦日を実家で過ごしました。日本海側を中心に大雪に見舞われた地域も多く、折込チラシがたっぷり入った元旦号の配達は大変だったと思います。ご苦労様でした。

 各紙の元旦号の社説や特集では、「あと、10、20年先のためにやっておかなければならいこと」として、地球環境や外交問題を取りあげて政府にモノ申しています。「われわれの」とか「私たちの」という形容詞を使い、国民や生活者の代弁をしているような書き方をするのもオールドメディアならではでオモシロイのですが、新聞社の方々と生活者との隔たりはさまざまな点で広がっているように感じます。メディア評論家から「今後2〜3年が勝負」と揶揄され、生き残りをかけてなりふり構わない新聞社であっても、読者に対する信頼をきちんと担保していかないと足元から崩壊しかねないと思います。
 今年最初の各紙社説を並べてみます。


▽激動世界の中で―より大きな日米の物語を(朝日新聞)

http://www.asahi.com/paper/editorial20100101.html?ref=any#Edit1
▽2010 再建の年 発信力で未来に希望を(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20100101k0000m070077000c.html
▽「ニッポン漂流」を回避しよう 今ある危機を乗り越えて(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20091231-OYT1T00717.htm?from=any
▽繁栄と平和と地球環境を子や孫にも(日本経済新聞)
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20091231AS1K2500B31122009.html
▽日印安保協力 米国の大切さ再認識せよ(産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091231/plc0912310230001-n1.htm

◇広告は朝日新聞が抜きんでた感じ
日立製作所.jpg 各紙とも総ページ数も昨年に比べて若干少ないようです。それだけ広告が減っているということです。
 元旦号は出版・雑誌社の広告が多いのですが、全面見開きの「日立製作所」の広告はインパクトがありました。今年で創立100周年だそうで「この木なんの木、気になる木♪」のCMソングを口ずさみたくなります。
 MACジャック.jpg気になったのが朝日新聞の第3部(スポーツ特集12n)で、ワンピースジャックに続き、「マクドナルド」ジャックされた紙面。朝日は広告企画の柔軟さだけでなく、紙面をしっかりアート(次頁の映画広告にはキムタクのポスター)としての価値を創出しています。読売の「H.I.S.」4面ぶち抜きはゴチャッとしていてインパクト薄…。
 あと、丸美屋の懸賞やサントリープレミアムモルトのモニタープレゼントも注目です。紙面でアテンションし、ネットで申し込む。アナログ世代には余った年賀状で応募しようという気にさせる仕込みがイイですね。


 「合従連衡時代」「難しい舵取り続く」とは業界紙の新年号の見出しですが、新聞産業はその役割を果たしていくために新たな収入源の確保が課題になっています。単体の生き残りを画策するにも限界がありますから、いかに産業全体で創り上げるかがカギかなぁと…。
 苦難の時代はさらに続きそうですが、今年もよろしくお願いします。

posted by 今だけ委員長 at 22:57 | Comment(5) | TrackBack(0) | 日記