2009年05月31日

新聞持参で割引サービス

 久しぶりに映画のはなし。

 敏腕新聞記者(主演:ラッセル・クロウ)が国会議員のスキャンダルを暴くサスペンス「消されたヘッドライン」が、各地の映画館で上映中です。
  消えたヘッドライン.jpg
 新聞記者が権力に挑むという構成の映画を数多く見てきましたが、それぞれの監督が描くジャーナリスト像には共通点があるように思います。それは決して権力に負けない不屈の精神。
 こういう場面で新聞の拡販をすると効果的だったりして。見終えた観客の多くは、フィクションであっても「新聞記者はそうあってもらいたい」と、新聞の存在や役割、記者への期待などに関心を寄せるはず。「熱」が冷める前にアプローチをすると効果的かもしれませんね。

 きょう、仙台フォーラムで同作品を鑑賞してきたのですが、同映画館ではこんな企画をやっていました。

《今日の新聞持って来ました割引》
消された〜』にその日の朝刊(スポーツ紙も可)をお持ちになられた方は入場料金1000円(通常1800円)に割り引きます。

 なんと素晴らしい企画。大手シネコンに追いやられるように閉館する映画館は後を絶ちません。このような工夫をして顧客をつかんでいる地元の映画館を、新聞社も応援すべきだと感じました。

 新聞業界の人たちは「内輪」で完結することが大好きなため、貧困なアイディアしか浮かびません。拡大路線は隅っこに追いやられ、縮小を前提としたリストラ案ばかり…。もっと外に目を向けるといろいろなアイディアがあるものです。

posted by 今だけ委員長 at 23:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年05月27日

特殊指定を崩す産経の地域限定値上げ

  5月26日付の産経新聞(九州版)に「月ぎめ購読料を50円値上げし3,000円へ」という社告が掲載されました。値上げは10月から。
 今年10月からの現地印刷(毎日新聞へ委託)に合わせて、「九州・山口版」ページ復活、取材体制の強化が値上げの理由とのこと。


 現在、九州地区で販売されている産経新聞は、大阪本社で印刷したものが空輸され、西日本新聞の販売店によって宅配されています。九州エリアの発行部数は公称3千部(実配はその半分くらいでしょう)。
 「値上げ」社告が刷られた紙面は空輸便のみのということもあり、まだネット上でも話題になっていないようです。


 「なぜ50円だけしか値上げしないのか」、「なぜ10月からの値上げをこんな早い段階で社告するのか」といった疑問もあるのですが、それよりも何よりも、不公正な取引を定めている特殊指定の「差別定価」に当たるのではないかというのがポイントです。
 特殊指定では「〜@日刊新聞の発行を業とする者が、直接であろうと間接であるとを問わず、地域又は相手方により、異なる定価を付し、または定価を割り引いて新聞を販売すること。〜」を禁止しています。

 今回の値上げ(山口・九州のエリア限定)について、業界の切り込み隊長と言われる産経新聞ですから、「ミスリード」ではないはず。すでに公取委には打診をし、特殊指定のくだりにある「ただし、学校教育用であること、大量一括購読者向けであること、その他正当かつ合理的な理由をもってするこれらの行為については、この限りでない」の合理的な理由に当たるとの確認はしているのだと思います。いわば公取委のお墨付きをもらったうえでの社告なのでしょう。

 新聞特殊指定を廃止したいと考えている公取委にとっては、このような取り組み(値上げであっても)は歓迎するはずです。理屈はどうであれ。


 問題は、護送船団の新聞業界にあります。今回の動きを「はいそうですか」というわけにはいかないと思います。たとえ部数が少なくても自ら特殊指定を崩そうとしているのですから…。
 産経新聞 値上げ社告.jpg

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posted by 今だけ委員長 at 23:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 特殊指定

2009年05月26日

やはり、広告に頼らない週刊金曜日しか電通のタブーは書けません

電通の正体.jpg
電通の正体 
―マスコミ最大のタブー―
著者 『週刊金曜日』取材班(株式会社週刊金曜日)1,200円


 新聞業界をはじめとするマスメディア(媒体社)の「広告スポンサーの報道姿勢」を問う声は少なくありません。

 例えば、たばこの広告を掲載している面に「喫煙者の肺がん発症率は○○%高くなる」といった記事は載せないなど「暗黙の了解」があります。掲載面を別ページに動かすのではなく、記事そのものをボツにしてしまう(それをやっているのも〇〇)ケースもあるというのです。

 最近では「パック広告」と呼ばれ、一見すると取材された記事のように編集された紙面(その記事を書いているのも〇〇)の下段には、その記事に関連する企業の広告が掲載されている記事体広告をよく見かけます(最近は紙面上段のノンブルに【全面広告】と表記している新聞社も増えましたが)。原発の必要性について「遠まわし」に書かれた紙面の下段には電力会社の広告が全5段で掲載されたりしていますね。

 また、2007年初旬に新聞の信頼を失墜させた事件も起きましたね。新聞社が裁判員制度のフォーラムや厚労省との共催イベントで、謝礼を払って水増し増員をしたという問題。全国地方新聞社連合会(この団体の後ろ盾も〇〇)という地方紙の任意団体が、紙面広告を受注するのと合わせてイベントの開催までを「パック商品」として行政機関へ売っていたものですが、人が集まらなければ媒体効果も問われるので「サクラ動員」までやっちゃったのでしょう。「人を集められなきゃもう使わないよ(広告を載せないよ)」という神の声があったと聞きます。

 そのような広告主と新聞やテレビをはじめとする媒体のつなぎ役が広告会社(代理店)であり、そのシェアの大半を握っているのが電通なのです。

 本書には電通と媒体との関係が赤裸々に記されてあり、巨額の広告費をつかさどっている電通の圧力に日本のマスメディアは屈しているという内容が容赦なく続きます。「マスコミを支配する日本版CIA」とはしがきに書いてあるほどですから、相当突っ込んだ構成になっています。これは広告費に頼らない週刊金曜日しか書けないだろうなぁ…。

 電通と取引停止になってしまったら、いまの媒体各社は死んでしまう―と言われるまで権力を持ってしまった電通の構造とその歴史が見えてくる一冊です。

posted by 今だけ委員長 at 06:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍紹介

2009年05月25日

付加価値として届けていた小冊子も削減の流れ

 「販売店の経営が厳しいから」なのか、はたまた「新聞社が補助金をねん出できなくなっているから」なのか…。

 販売店が(新聞社から強制的に?)購入して、読者への付加価値として提供している小冊子(発行は新聞社ですが、ほぼ外注です)が、だんだん姿を消しています。

 日本経済新聞では、毎月20日頃に全読者(新聞へ折込)へ届けていた「日経4946File」を今月号で休刊するとのこと。挨拶状が同封されていました。
  4946.JPG
 この手の読み物は「奥さま向け」が多いのですが、この4946(ヨクヨム)ファイルは結構参考となる特集が組まれていて、いつも待ち遠しくしていました。愛読者だっただけに残念です。

 今後は日経読者応援Webサイト「nikkei4946.com」へ集約されるとのこと。

 朝日新聞が2008年度3月期決算で139億円の赤字を計上するなど、厳しい状況が続いている新聞業界。
 経営が厳しくなったから、採算が合わないものはやめる→サービス低下を理由に読者も購読をやめるというスパイラルに陥るのは目に見えています。
 これまで新聞社が地域への文化的貢献として行われてきた美術展などの事業も縮小方向に向かうのでしょう。それでなくても、日々届けられる新聞を手に取れば(減ページによって)薄っぺらくなってきたと、読者は感じているはずです。薄くなっても中身が濃ければ問題ないのでしょうが・・・。

 さまざまなものがスクラップされ始めている新聞業界。攻めの姿勢はまったく感じられません。

posted by 今だけ委員長 at 20:11 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2009年05月15日

「中央協だより」から

 新聞公正取引協議会が発行する「中央協だより」(155号)が、毎月デスクに届けられます。A3二つ折りの8頁建ての紙面構成もマンネリズムを感じますが、今年度から同協議会の委員長に就任した飯田真也氏(朝日新聞東京本社役員待遇販売担当販売局長)のあいさつが1面に掲載されていました。

 飯田氏が同協議会の委員長に就任するのは今回で2度目(前回は2005年)。あいさつの内容は「型通り」ではありますが、「強調」というメッセージが感じられます。公正な競争の推進を「ANY連合」はもとより、産業全体に浸透させていただきたいものです。


 その飯田氏は業界紙の共同インタビューで次のことを述べています。

▽共同出資でポスティング会社 飯田中央協委員長が就任会見(新聞情報 5月2日付)
(引用はじめ)販売店の強化策だが、これこそ各社の強調がもっとできないかと思う。例えば、この3年間連続して折込収入が減少しているが、媒体としての折込広告の優位性をもっとPRしていく必要がある。折込は廉価で地域限定、何より食卓まで届く便利な媒体だ。ただ、昨今、新聞離れが進んでいるので、今後は無購読世帯をどうするかという問題がある。無購読の増加で到達率が下がり、その隙間を狙って、ポスティング業者が進出してきている。このポスティング業者を各社で共同出資してできないかと思う。そうすれば新聞購読者には折込で、無購読者にはポスティングで届くという営業ができる。いずれにしてもポスティング業をやっている人は業界外の人ばかりなので、これは(新聞業界)共通の敵。これこそ協調の精神でやることが重要だ。すでにいくつか実験的にやっているところもあるが、全国的に展開することが大事だ」(引用終わり)

 実配をはるかに超えた部数を抱えた新聞販売店が経営を維持できたのも折込広告の収入があったからこそ。しかし、この3年間で折込広告は2〜3割の落ち込みが続き、販売店の経営は厳しい状況が続いています。最近ことに都市部の専売店の自廃が目立ってきたという報告もあります。


 一方で、チラシ広告の需要は大きく下がっておらず、リクルートが展開するタウンマーケットなどチラシ広告の宅配業社も増える傾向にあるようです。その意味ではエリアごとに安価で訴求できるチラシ広告をそれぞれの新聞(専売店であれば)に折り込む(2紙購読していればチラシも2部届く)よりは合売店の方が効率はよいし、購読者、無効読者に分けるまでもなく全戸配布をする業者が重宝がられる時代なのでしょう。でも(新聞)折込広告の場合は新聞に挟まれているから食卓まで届き、安価な価格設定が可能だというメリットも忘れてはなりません。


 以下は「中央協だより」から注目したい記事をピックアップ

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posted by 今だけ委員長 at 21:42 | Comment(6) | TrackBack(0) | 日記

アメリカとイギリスの新聞販売の歴史「紙面競争」「価格競争」「景品競争」

新聞の病理.jpg
新聞の病理 21世紀のための検証
著者 前澤 猛(岩波書店)2,200円


 読売新聞OBの著者が2000年12月に出版したもので、21世紀に必要とされる新聞像、ジャーナリズムのあり方などが、欧米諸国との比較もしながら日本の新聞の問題点について詳しくまとめられた一冊です。


 著者は記者生活の中で忘れられない出来事が二つあると問題提起をします。ひとつ目はアメリカの有名なジャーナリスト団体「調査報道記者編集者協会」から特別表彰を受けた朝日新聞の記者(表彰の理由はリクルート事件の調査報道)が、表彰式に姿を見せず代理受賞したことを指摘し、「受賞したのはジャーナリストとしての記者個人だったのに日本の新聞記者は個人の独立性などがない」とし、調査報道などの評価も勤めている新聞社や上司の編集局長が受賞するものという風土があるという点。もう一つはベトナム戦争中にロケット弾の巻き添えになり殉職した記者が、国から叙勲を受けたことに関連して、「メディア企業の会長や社長の授与が増えているが、ジャーナリストが叙勲なるものに名を連ねることへの違和感と叙勲されることをありがたがるのはジャーナリズムへの堕落だ」と指摘します。
 この二つの出来事が、著者の「日本のジャーナリズムに対する疑問」を増幅させたきっかけであると述べています。読み進めていくと、日本は個人としてジャーナリズムを実践しているという意識が記者にはなく、企業ジャーナリズムに埋没しているという問題提起が随所に引用されています。


 第二章では「新聞の景品依存体質と読者離れ」と題し、販売問題についてアメリカとイギリスの新聞ビジネスの歴史を振り返りながら、「紙面競争」「価格競争」「景品競争」についての考察が詳しく分析されています。

 一般的に「紙面競争」は万国共通でも、日本は「著作物再販制度」の特権を享受しているため、「景品競争」に依存する販売戦略につながりやすく、「景品に依存する部数拡張政策」は経営的利益をもたらさないと断言します。
 アメリカでは「広告量・広告収入の増大」→「新聞価格の低下」→「発行部数の増加」という連鎖をたどり、19世紀末のアメリカの大衆紙の新聞経営は広告依存度を高めます。しかし「景品」による拡張はほとんど見られなかったとし、宅配ではなく一部売りを柱にした販売制度がその理由である可能性もあると分析しています。
 一方、イギリスでは「中央紙」「部数の寡占化」「膨大な発行部数」を築くため景品販売戦略を進めます。いわゆる今の日本の販売手法と同じです。景品競争の果ては@無料景品やコスト割れを招く物品の提供禁止A景品は懸賞と保険に制限という協定(日本でいう公正競争規約)を各新聞社が結ぶことになるのですが、またぞろ「景品競争」は再開され「ヘラルド(大衆紙)」は「200万部」、「部数第1位」を手中にするも経費を吸い込むアリ地獄の経営へ。そして1961年にはミラーグループへ買収され、以後「ザ・サン」と改題されます。結局は紙面重視に景品依存が負けた(読者はそう判断した)というのがイギリスモデルなのです。


 そのほか、前澤さんが私案として提起する「ジャーナリスト倫理指針」なども(同書の発行は10年前ですが)今に通じるものがあると感じます。

 日本の文化だから他国と比べる必要はないという方も少なくないのですが、紆余曲折がありながらも最終的には「紙面競争」で読者からの信頼を勝ち取るということが、生き残りへの道なのでしょう。

posted by 今だけ委員長 at 01:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍紹介

2009年05月11日

国家権力に葬られた西山事件 小説で真実をよみがえらせる

運命の人.jpg
運命の人
著者 山崎豊子(1,600円)文芸春秋社


 山崎豊子さんの新作です。
 2005年から文芸春秋で連載の「運命の人」は、いわゆる西山事件を題材にしたノンフィクション小説。山崎さん流のアレンジを加えながら、主人公の元毎日新聞記者の西山太吉さんが国家権力に立ち向かう姿を描いています。丹念な取材をされる山崎さんならではなのでしょうか、登場人物の人間模様は読んでいてグッとくるものがあります。

 西山事件は1978年5月に国家公務員法違反で西山氏の有罪が確定。その後、2005年4月に「密約の存在を知りながら違法に起訴された」と国家賠償請求訴訟を起こしますが、昨年2月に「20年の除斥期間で請求権は消滅」とする東京高裁の判決により、原告敗訴が確定しています。

 沖縄返還協定を交わした米国では、密約の存在が明らかになっているにもかかわらず(米国立公文書記録管理局では閲覧可能)、日本政府はその文書の存在すら認めようとしません。沖縄返還協定時に米国と交わされた「密約」は闇に葬られたままなのです。
 西山事件の争点が雑誌などのマスコミよって「セックススキャンダル」と歪曲され、読者の反発を招き毎日新聞の不買運動が起きます。1977年に毎日新聞は一度倒産(その後、新旧分離をして経営再建)するのですが、同社が最後まで「報道の自由」や西山さんを守り続けたのかを検証すると、ある意味で組織ジャーナリズムの限界がこの西山事件で浮き出てきたように感じます。


 先月末に1、2巻が同時に発刊されましたが、「沈まぬ太陽」と同じく5巻までは出されるでしょう。財政が厳しい折、3巻以降はネットオークションで買うことにします。

posted by 今だけ委員長 at 23:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍紹介

新聞販売店を舞台にしたアニメ 焦点は違いますが…

 マイコミジャーナルによると、新聞販売店を舞台にしたTVアニメ「かなめも」(原作:石見翔子氏)が7月5日からテレビ東京系でスタートするそうです。
  000.jpg

 どんなストーリーが展開されるのか原作も読んでいないのでわかりませんが、深夜の時間帯での放映からすると「NIE系」ではなく、いわゆる「萌え系」?
 同作品をウィキペディアで検索すると「身寄りを無くした少女・中町かなは、ひょんなことから新聞専売所(風新新聞専売所)に住み込みで働くことに。そこに待っていたのは、とんでもなく個性的な同居人たち。彼女達の日常生活や仕事現場のドタバタを描く作品」ということだそうです。


 新聞販売店の実情がどれだけ描かれるのか、ちょっと見てみたい気もします。

 私が住んでいるところでは(おそらく)放送されないと思いますが、感想をいただければと思います。
posted by 今だけ委員長 at 10:01 | Comment(2) | TrackBack(0) | きょうの喜怒哀楽

2009年05月06日

新聞は何のために存在し、これからどんな役割を担っていくのだろうか…

 連休中はどこへも出かけず、近所の図書館でボーッと新聞を読みながら午前中を過ごしました。以前は自宅で過ごす休日にコンビニで定期購読していない新聞を買って読んでいたのですが、収入が下がるとそうも言っていられません。切り詰めるところは切り詰めないと…。


 5月4日付、河北新報(あすを読む)にコロンビア大学教授のジェラルド・カーティスさんの「西松事件が映し出す政治、マスコミのゆがみ」というコラムが掲載されていました。
 民主党代表の小沢一郎さんの公設秘書が政治資金規正法違反の疑いで逮捕、起訴されたことに関連して、小沢代表の説明責任、民主党の対応、検察の行動、マスコミの姿勢について問題点を指摘しています。
 なかでも、マスコミの検察対応を批判し、検察がリークしたことだけを紙面化する記者クラブの制度のあり方について、廃止も検討すべきと意見を述べています。

(記事から引用)
 この事件に関して、マスコミの取り上げ方、対応の仕方の問題も大きい。検察の記者クラブの記者たちは厳しい質問をせず、検察がリークしたことを事実として新聞に載せる。秘書を起訴して記者会見した検察は、カメラを入れてはいけないとか、記者クラブ以外のジャーナリストの参加を許さないなど、条件を付けたと聞いている。明らかに言論の自由を拘束する行動である。それなのにマスコミは大きな問題にしない。
 記者クラブが検察の出先機関のように使われてはいけない。この事件が記者クラブ制度廃止も含め、マスコミ自身の構造改革を考える契機になればいいと思う。

 元日本経済新聞論説主幹の水木楊氏が、新sあらたにすの新聞案内人というコラム「『記者クラブ』をどう考えるか」のなかで、記者クラブ制度のメリットとデメリットをあげながら持論を書かれています。
 メリットとしては、個々ではなく集団で情報開示を求めるなどの力を発揮できる点や取材先(市民団体も含め)の窓口になっているなどをあげています。デメリットは以下の3項目。
@ろくな取材をせず、記者クラブに座っていても、発表記事が運ばれてくる。最近はどうなっているか必ずしも明るくないのですが、昔はそんな記者のことを「REPORTER」ではなく、ただモノ(情報)を運ぶ「PORTER」と呼んでいました。そういう記者が存在してしまう恐れがある。
A記者クラブが置かれている機関と価値観が一緒くたになり、客観的批判的な報道がしにくくなる場合がある。
B記者クラブに加盟する社が、自分達だけで特殊な関係を築き上げ、他者を排除する閉鎖性が生まれる。


 記者クラブという特権にどっぷりつかってしまうと本来の役割がおざなりになってしまうということでしょうか。例えば政治家から食事をごちそうになり、お土産までもらう関係を構築することで生活者のためになるニュースソースが引き出せるのかなぁと疑問を感じます。記者自身も政治への過度な参画意識が芽生えてしまい、紙面という武器を使って自身の価値観を取材対象者へアピール(それが抑止力?)しているだけに過ぎないという疑問さえ抱いてしまいます。
 記者クラブに出入りすることを許された企業人は、知らぬ間に閉鎖的な環境を自ら作りだし、そこで出来上がる同業者同士の仲間意識と取材対象者との持ちつ持たれつという妙な関係。水木氏が指摘するように一線を越えなければよいのかもしれませんが、内部から問題視するような声はやはりあがらないのでしょう。新聞を読まされる生活者はなんとなく蚊帳の外という感じがしてなりません。


 新聞は何のために存在し、これからどんな役割を担っていくのだろうか…。
それぞれの新聞社には、社是なり経営理念があると思うのですが、昨今のような不況に陥ると「そんなの関係ねぇ」となってしまうのでしょうか。

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posted by 今だけ委員長 at 14:14 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2009年05月03日

ネットは踊らされずリテラシーを身につけながら使いましょう

  ウェブはバカと暇人のもの.jpg
ウェブはバカと暇人のもの
著者 中川純一郎(光文社新書)760円


 ロスジェネ世代の筆者が、ウェブニュースサイトの編集に携わりながら、博報堂(現在は博報堂DYホールディングス)勤務時代に培った企業のPR戦略の知識と経験から、ネット万能主義という仮想の世界を一刀両断した痛快かつ、実情を的確に指摘した一冊です。著者は4年前に「お金持ちになる新聞の読み方」という書籍も出筆しています。

 「凡庸な人がネットを駆使することで秀才になれるわけがないし、世の中によいものをもたらすわけでもない。むしろ凡庸な人が凡庸なネタを外に吐き出しまくるせいで本当に良いものが見えにくくなっている」とし、(言葉は悪いのですが)バカが発言ツールを手に入れて大暴れしたり、犯罪予告をするようなリスクにこそ目を向けるべきだと著者は提起します。

 「怒りの代理人」がネットのヘビーユーザーにはウヨウヨいて、「誰かをいじめたいだけ」という暇人が、個人(芸能人)だけではなく企業に対しても“揚げ足取り”をして、下手に出なければ不買活動(電凸行為)までやってしまう。無記名であることをいいことに…。

 おととし、毎日新聞が謝罪の検証記事まで掲載して大きな議論を読んだ「ネット君臨」騒ぎも「怒りの代理人」が正義感をみなぎらせ、徒党を組んで吊るしあげに躍起になったのかもしれません。しかし、新聞をはじめマスメディアは「怒りの代理人」に揚げ足を取られるような報道(会社の姿勢)であってはダメだというのが私の理解です。新聞は確かに購読している読者が顧客ですが、社会に向かって発信しているという自負があったり、記者クラブ制度などの特権を与えられているのですから、顧客とは全国紙であれば国民というくくりだし、地方紙であればその県民のことを指すのだろうと思っています。

 話はそれましたが、著者はこう言います。「ネットはプロの物書きや企業にとって、もっとも発言に自由度がない場所である」、「ネットが自由な発言の場だと考えられる人は、失うものがない人だけである」と。
 そういえば私自身もネットの使い方が変化してきたように思います。ミクシィもさっぱり更新しなくなり、個人で運営されているブログもリアルに面識のある方のものしか見なくなりました。ウェブの課題はメデシア・リテラシーへと移っていくように感じます。というより、ネットの評論家やベンチャー企業は、自分の領域を広げようとネットの良さそうなことだけをいかにもすばらしいもののように語りますが、踊らされないことが大切だということです。


 私も凡庸な人間なので、新聞産業(販売)の問題点をわかりづらくしているのかもしれませんが、バカはバカなりに書き続けていこうと思っています。よろしければお付き合いください。

posted by 今だけ委員長 at 22:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍紹介

2009年05月02日

電通 約100年ぶりの赤字

 けさ(5月2日付)の日本経済新聞14面に「電通、初の赤字に」という記事が掲載されていました。ほかの新聞には掲載されてなかったようです。
 ひと月前に毎日新聞が「
電通:新たに408億円の特別損失 最終赤字の可能性も」の記事を掲載しています。電通が408億円の特別損失を計上し、従来の最終損益が110億円であることから最終赤字に転落する可能性もあると伝えていましたが、連結ベースで200億の赤字を計上することになりそうです。世界一の広告会社「電通」が赤字を計上するのは100年ぶり。


(日本経済新聞から引用)
 売上高は前の期8%減の1兆9千億円程度だったようだ。大部分を占める電通単体の売上高が1兆474億円と9%減にとどまった。とりわけ、新聞やテレビなど「マス四媒体」向けの広告取扱高が9%減り、5年ぶりに1兆円を割り込んだことが大きい。
 営業利益は36%減の360億円程度とみられる。販管費はなどを抑制したものの、大幅な減収による下ね気分を補えなかった。
 特別損失に投資有価証券評価損510億円を計上。フランスの広告大手、ピュブリシス(株式で償還される債権)で約380億円、ジャスダック上場のオプトで約110億円の評価損が発生した。
 電通は簿価に対して30%以上、価格が下落した状態が6カ月以上の下落した銘柄を減損処理するのが一般的だが、保守的な処理で今期以降の評価損発生リスクは減る。
 赤字転落を踏まえ、期末配当を従来予想の20円から減らすことも検討しているもようだ。
 単独の最終損益も赤字で、1901年の創業直後の1時期を除き、約100年ぶりの赤字決算と見られる。

 元日経広告研究所専務理事の森内豊四さんからは、「電通の200億円の赤字は予想より少なく、先に発表された博報堂DYも含め広告は総崩れだ」との連絡がありました。加えて、「グーグルやヤフーの売上高が伸び悩み」や「ネット広告減速」などの記事を指し、「ネットならうまくいく、といわんばかりの論調は本当に眉唾物であることがはっきりしてきた。この数年、日経を含め各社とも『紙とネット』をモットーにしてきたが、それは経営戦略になりえないことを意味するもの」とのご意見もいただいています。

 新聞社では、広告収入の落ち込みが経営に大きなダメージを与えていますが、「ネットが何とかしてくれる」と言わんばかりにクロスメディア戦略へ取り組む新たな部署を立ち上げて、広告収入の引き上げに躍起になっています。しかし、日本経済自体がひっ迫している状況下では、効果をあげるのは至難の業といえます。なにせ、あの電通が100年ぶりに赤字になったのですから…。

【追記】
今週11日に電通の2008年度決算が発表されました。
http://www.dentsu.co.jp/ir/marketing/pdf/FS2008-4QJ.pdf

マス四媒体の総崩れが大きな要因ですが、新聞の前年マイナスを圧縮しようと電通も躍起になっていたみたいで、なんとか80.8%とマイナス8割台をキープ。

しかし、そのあおりを受けてか、新聞の電通扱い4月単月売上は、前年比71%という惨憺たる結果です。
http://www.findstar.co.jp/news/syosai.php?s=001519

マスメディア広告の総崩れ。折込広告も今後予断を許さない状況となりそうです。

posted by 今だけ委員長 at 17:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 時事ニュース
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