フェルナンデス選手の2ホームランなど打線が好調なので、今日も勝つでしょう。先発の岩隈投手もまずまずです。
昨年もそうでしたが、広島戦は「オタフクお好みソース(お好み焼き粉)」がサンプル入場時に配られました。
晩ごはんはお好み焼きに決まりそうです。
広告関係の実情については深く理解できていないのですが、先日に本広告学会の森内豊四氏(元日経広告研専務理事)から今回発表された電通の組織改編についてのご意見を頂戴したのでご紹介します。
電通が7月から行う組織改編の骨子は、15年ほど前に改編したAP本部制からの撤退で、ひとえに営業力強化を狙ったものだと思われます。
広告の危機をひしひしと感じさせます。新聞広告後退の底流に何があるか、新聞経営陣と編集局幹部はもっと本質をとらえる努力をしてもらいたいと思います。
「環境変化に柔軟かつダイナミックに対応」とか「課題解決力を備えた真のソリューション企業」とか、まるで広告会社のプレゼンのような言葉が並んでおりますが、本音で言うと、従来の広告だけでは立ち行かないので、なりふり構わずクライアント獲得を目指し、周辺事業にもビジネスチャンスを広げていくということでしょう。
電通がそうなら他の広告会社はもとよりマスコミ各社のほうがもっと追い込まれているはずです。しかし、どこも電通のような組織改編を打ち出せておりません。さすが電通と言うべきでしょう。
森内氏から的確なアドバイスをいただきうれしい限りです。この貴重な考察を広告営業系の方だけではなく、できるだけ多くの新聞人に感じ取っていただきたいものです。
マスコミはなぜ「マスゴミ」と呼ばれるのか―権力に縛られたメディアのシステムを腑瞰する―
著者 日隅一雄(現代人文社)1,840円
先週16日の河北新報朝刊に掲載された「現代の視座」というコラムが目を引きました。おそらく共同通信からの配信でしょうから、他の地方紙でも掲載になっているのかもしれません。
文芸評論家の斎藤美奈子さんが、ネット普及によって便利になった新聞各紙の読み比べについての手記です。斎藤さんは世論形成をしていると思い込まれている「社説」の比較を市民もしやすくなり、「新聞はどこもかしこも一緒ではない」ということを読者はもっと知る必要があり、購読する新聞選びに役立てる必要性を提起しています。権力のチェック機能として新聞社があるとするならば、その新聞社を監視するのも読者の役割であると説いています。
逆に「社説」(どれだけの人が読んでいるのかなぁ)が重要であるというスタンスの内容にもなっています。
こんな記事はなかなかネットでは探せないけれど、もし購読する新聞を決めるなら洗剤や商品券のオマケじゃなく、こんな読み比べをしてから新聞を選ぶことが大切なのだと感じます。
フリーペーパーの衝撃
著者 稲垣太郎(集英社新書)714円
フリーペーパーの歴史は古く、タウン誌や企業のPR版のようなものまで広告収入で経営が成り立つビジネスモデルを指します。サンケイリビング新聞などのタブロイドタイプのものから、今では「R25」(リクルート)に代表されるマガジンタイプが主流ですね。。
JAFNA(日本生活情報紙協会)の定義(5年前に承認)によると「特定の読者を狙い、無料で配布するか到達させる定期発行の地域生活情報紙誌で、イベント、タウン、ショップ、求人求職、住宅・不動産、グルメ・飲食店、ショッピング、演劇、エステ・美容、レジャー・旅行、各種教室など多岐にわたる生活情報を記事と広告で伝える」ものだそうです。
現在日本では1,200紙誌、年間3億部近いフリーぺーパー(マガジン)が発行され、21世紀に入り創刊ラッシュが続いています。多く区分類すると@コミュニティペーパー(住宅地での全戸配布方生活情報紙誌)Aターゲットマガジン(読者を切り分けた嗜好別情報紙誌)Bニュースペーパー(報道系)。エリア、世代、性別、所得などターゲットを絞り、読者に配る方法と場所、かつ話題性、信頼性のあるコンテンツを日夜つくりだしているフリーペーパー市場。広告主が「伝えたいターゲット」に一番効果的な紙誌を選ぶという仕組みは、マス媒体とは違うターゲットメディアの必要性をインターネットよりも先にフリーペーパーは実践しているのです。
著者は朝日新聞社デジタルメディア本部に勤務し、2005年から2年間「無料なのにどうして内容の濃い紙面を提供できるのか、読者に買ってもらわず広告収入だけで経営は成り立つのか、ネット全盛の時代になぜこの紙媒体は活気づいているのか」という疑問を研究された末の答えが本書に詳しく書かれています。私も業界人だからでしょうか、とても的確にフリーペーパーの現状が伝えられていると思います。ただし、広告で経営が成り立つのは制作コスト(紙媒体は金が掛かる)が現状維持の場合であって、原油高の影響で印刷業界が悲鳴をあげている状況では厳しいのかもしれません。
著者は本書のまとめとして、フリーペーパー=情報発信(コミュニケーション)であり、コンテンツの企画開発力が問われていると指摘しています。
広告主はインターネット上で自らのサイトを持ちはじめ、既存のメディアを通さずに消費者を直接囲い込む手段を手に入れた。まさに企業のメディア化である。これに組み合わされる媒体も同じように、消費者を呼び込むメディアとして、フリーペーパーの広告主だった企業自身がフリーペーパーを発行するようになった。
かつてのカタログ誌、PR誌の分野が、読み物を載せて固定読者にサービスするフリーペーパーに進化しはじめている。多くの企業が独立系の編集プロダクションや広告会社と契約し、自社の製品やサービスに特化したフリーペーパーを発行するようになれば、メディア産業はそのコンテンツ企画開発力を問われ、広告会社も経営戦略を根本から変えざるを得ない状況になるだろう。
新聞はなかなかターゲットを絞った紙面づくりとはいきませんが、プッシュ型として販売店が顧客データを基にしたセグメント配布をしっかりできればクライアントが訴求する折込チラシやフリーペーパーを新聞に挟み込んで届けることは可能なのです。そのためには何度もこのブログで書いていますが販売店のレベルアップ、優秀な人材を確保する条件整備が必要。
ではプル型ではどうか――店舗数が多いのでいろいろな「すき間」というか、サンプリングステーションなどの使い方も考えられますが、多くの販売店は顧客を招き入れる店舗とはいえません。輪転機と同じ稼働率は相当に悪いですね。
今年1月末に発行された本書。ぜひご一読を。
社団法人日本新聞協会が隔年実施している「全国メディア接触・評価調査」を13日に発表しました。
だんだんと資料のネーミングが小難しくなっていると思うのですが、クロスメディア時代の新聞広告U「購買満足と新聞エンゲージメント」という報告書にまとめられています。
調査地域: 全国
調査対象: 15歳以上69歳以下の男女個人
標本抽出: 住民基本台帳からの層化2段無作為抽出
調査方法: 訪問留め置き法
調査主体: (社)日本新聞協会 広告委員会
実査・レターヘッド: (社)中央調査社
時事通信のWebニュースを引用
92%が「新聞読む」=朝刊25分、9割は自宅で−3,600人回答・新聞協会調査
新聞を読んでいる人は92.3%、平日に朝刊を読む時間は平均25.1分−。日本新聞協会は13日、新聞や新聞広告に関する調査結果を公表した。
新聞を読む人の割合は、2年前の前回調査より0.3ポイント減ったが9割台を維持しており、協会は「新聞離れと言われるが、依然多くの人が接触しているメディアだ」としている。
調査は4回目で、昨年10月に実施。全国の15〜69歳の男女6000人を対象に、約6割の3620人から回答を得た。
1週間に読むのは平均5.4日。新聞の評価は「社会への影響力がある」(60.7%)、「情報源として欠かせない」(53.8%)などの項目で、テレビや雑誌などを抑えトップとなった。
一方、民放テレビは「楽しい」(63.6%)、インターネットは「情報量が多い」(45.1%)がそれぞれ最も多かった。
これまでも総務省や情報通信関連の企業がこの手の調査資料を発表していますが、リサーチ方法によってその回答内容が大きく変わるようです。WEBによる調査だと新聞の接触時間は5分以下で、ネットの接触時間や信用度がとてつもなく高くなる。その反対に新聞業界が調査(訪問留め置き法)すると「一日あたりの平均購読時間が25分」になってしまうものです。
どの数字を信頼すればよいのか良く分かりませんが、販売現場で直接お客様(読者・未読者含めて)の声を聞くことが一番。いま新聞がどのような位置づけなのか…実態が良く分かります。
調査資料(マーケティング・リサーチ)はあくまでも、マーケティング戦略の意思決定に役立つ情報を得るために行われるので、「こういう回答を引き出したい」という仮説を意識した設問になっているものです。今回、新聞協会(広告委員会)が行った調査も広告主や広告会社・代理店向けに発信することを目的としているので、「へぇ〜こんなに読まれているのだ」と勘違いしない方がよろしいと思います。
追想 渡邉誠毅
発行・発行 渡邉葉子/渡邉誠毅追悼集刊行委員会(3,400円)
1977年から1984年まで朝日新聞社の社長を務めた故渡邉誠毅氏の追悼集。新聞協会報でこの書籍の発行(今年2月11日)を知ったのですが書店での販売はされていないため、朝日新聞社書籍編集部に申し込んで購入しました。
なぜ、渡邉氏の追想を読んでみたかったというと1985年2月に当時新聞協会会長だった同氏が二度目の販売正常化宣言の各社一斉社告に取り組んだ―その方の半生はどんなものなのだろうかという興味と当時(販売問題)のエピソードなどが記されてあればという期待からです。
昨年、肺炎のため92歳でこの世を去った渡邉氏の半生はまさに戦後の新聞産業の発展と新聞ジャーナリズムの歴史そのもの。1939年に東大卒業後、朝日新聞社に入社。赴任先の北海道で北大農業研究会に関わり治安維持法違反の容疑で3年間の獄中生活を送ることになります。そして戦後。1947年には新聞単一労組朝日支部委員長に就任するなど行動力に長けていた渡邉氏。調査研究委員、論説委員、編集局長、取締役へと経営者としての頭角をあらわし、1977年に社長就任。任期中に朝日新聞創刊百周年(1979年)、新聞協会会長就任など数々の時を刻んだ方でもあります。
本書は渡邉氏が出筆した記事、論文、講演などの遺稿と友人、遺族らによる想い出の記をまとめた追想で構成されています。私の目的だった販売問題への言及については2カ所ほど登場してきます。
「財界」1978年9月1日号のインタビュー記事(要点のみ引用)
――新聞界の問題を解決する場合、二つの前提提条件があると思う。ひとつは朝日新聞の社主問題の解決、もう一つは読売新聞との販売競争の終結、それに伴う販売の正常化の問題でしょう。しかし、それも私は、朝日新聞の社内問題が大きく反映していると思うんです。朝日の出方が闊達になることが、正常化へ大きなプラスになりますからね。そこで新聞界の本当の秩序作りが始まると思うんです。朝読戦争といった販売競争が続く限りは、やはり商業主義に走るから、どうしても紙面が荒れますね。ですから日本のマスコミ全体にとって、朝日と読売の間で秩序ができる、ということがどうしても必要だと思うんです。
渡邉 誰が見てもおかしい、無理な競争は、いずれおさまる時期はくると思うんですよ。
――しかし、朝日の場合はいわゆる部数競争から下りた、とも言えるんですね。読売の場合は部数日本一、即世界一ということで、これが大きな売りものになっている。
毎日新聞社が北海道エリアでの夕刊発行を8月末で廃止すると報じられました。
同エリアでの毎日新聞の発行部数(日本ABC協会調べ:3月)は朝刊6万8千部、夕刊1万4千部。夕刊は1年間で4千部減っているとのこと。
毎日新聞は昨年末から配送コスト削減などに取り組んでいますが、道内の都市圏(夕刊購読の多くは企業中心)で夕刊発行をやめるという決断は「企業を守るため」。夕刊の記事を朝刊にスライドさせるとしていますが、読者への視点はなくなっているように感じます。
地方紙との提携(輪転機、発送、販売店)を模索している毎日新聞社ですが、なかなか進まない理由のひとつにANY(のうちAY)の存在があるわけです。全国紙(毎日)の読者のパイは全国紙(毎日以外の)が山分けすると言わんばかりに、地方紙に対してAYが相当な圧力を掛けている(販売関係筋)そうです。全国紙の生き残り戦略が透けて見えますね。
6年前に産経新聞が東京本社エリアの夕刊を廃止した時よりも、個人的にはあまりにもリアルすぎて・・・ショックでした。
【参考記事】
毎日新聞、北海道の夕刊廃刊へ 9月から/朝日新聞
毎日新聞が北海道での夕刊発行を8月末で廃止/読売新聞
毎日新聞、北海道での夕刊廃止/日本経済新聞
毎日新聞が北海道の夕刊廃止へ/産経新聞
新聞研究5月号
発行 社団法人日本新聞協会(定価840円/年間購読料10,080円 送料別)
このブログでも度々紹介している元日経広告研究所理事の森内豊四氏が、新聞協会が発行する月刊誌「新聞研究5月号」へ論文を寄せています。表題は「新聞広告の後退を考える―営業現場の変革に向けて…」。
この誌が発行される前に森内氏から寄稿内容の要約を送っていただきました。本誌と併せて読むと何とも感慨深く、新聞広告そして営業の仕事への考察の深さを感じます。
森内氏は、新聞研究はもともと編集・記者部門の機関誌であるから、あまり読まれないのかもしれない―と仰っていますが、新聞広告の可能性や広告営業の在り方、さらに新聞広告後退の底流に何があるのかという問題は新聞経営陣はもとより編集職場の方々も知らぬふりはできない問題です。
1995年以降、インターネットの爆発的な普及で右往左往してきた新聞産業界。ネット時代の新たなビジネスモデルを追いかける一方で、これまで新聞経営の根幹をなしてきた広告、販売という営業部門が抱えてきた構造的問題を編集職場の方々含めた新聞労働者がキチンと検証して次へ進むことが必要なのだと感じます。
続きを読む「新聞研究」論文要約
○広告産業はすでに成熟期を過ぎ、量的拡大は期待薄で、これからはメディア間、ビークル間(新聞社間)の競争が激化するとの認識が必要だろう。
・国内市場の低迷で、企業は海外市場の開拓に力を注ぎ、海外での宣伝活動を強化しているが、日本のマスコミはこうしたグローバル化の恩恵にあずかれない。
・経営における広告のポジショニングが後退している。
○現在の広告不振は現場の努力不足など関係なくさまざまな要因が重層的・複合的にからみあったもので、根底に現在の日本が抱える経済・社会の構造問題がある。