2006年02月27日

ヤマト運輸と西濃運輸が共同出資会社を設立

 ヤマト運輸(小倉 康嗣社長)と西濃運輸(田口 義隆社長)が、企業間物流を請け負う共同出資会社「ボックスチャーター」を3月中に設立する方針を明らかにしました。新会社は製品を生産拠点から倉庫や販売店まで定期的輸送を請け負い、実際の輸送は、東京―大阪間など幹線部分は西濃運輸が担当し、幹線から配達先までは両社が分担して届けるとのこと。株式の比率はヤマトホールディングスが85%、セイノーホールディングスが15%を出資し、社長はヤマト運輸側が担うようです。
個人向けの宅配便を主力商品としてきたヤマト運輸ですが、日本郵政公社との競争が激しくなっており、企業間物流事業への進出で新たな収益確保を目指すとの報道がされています。

 流通部門において巨大化するヤマト運輸ですが、並み居る業者の価格競争に左右されず夜間配送などの利用者ニーズに合わせた営業態勢が功を奏したように思います。しかし、夜の10時に宅配便が受け取れるというニーズが新たな雇用を生み出すとは限りません。事業の拡大によって若干従業員(ほとんどがアルバイト)も増えているのでしょうが、労働者の超過勤務によって「時給変わらずとも生産性をあげる」ことが支えられているのです。

 広がる「格差社会」。業界をリードする企業が雇用の安定と向上に取り組まなければ、利用者のニーズも消費力すらも縮小していくのだと感じます。
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反省の上に立って「二度と戦争のためにペンを執らない、輪転機を回さない」ことを誓おう

知ッ人・言論弾圧の記録.JPG
知識人・言論弾圧の記録
著者 黒田 秀俊(白石書店)1,500円

 日中戦争から太平洋戦争までの「態勢の右傾向化と知識人への弾圧、言論統制」について、日本のジャーナリズムの反省と現在の平和憲法下における言論の自由の大切さを訴える1冊。1976年の発行。
 桐生悠々の論説に対する弾圧や「世界文化」の中井正一新村猛、真下信一、ねず・まさし、久野収、和田洋一らの検挙などの経緯が書かれている。軍に対する批判は統帥権の干犯になり、いっさい「問答無用」であった。昭和に入って言論、報道の自由に対する制限が拡大していく。

 新聞も結果的に大本営発表を垂れ流し、戦争を賛美したとのだが、戦時中は軍部や官僚がナチスばりの統制を真似て新聞を政府の手に取り上げようとの企てに抗している。1940年には「新聞一元会社案」を持ち出してくる。内容は@現存新聞社の社屋、土地、機会など、一切の有体財産を営業成績その他の総合評価によって新聞共同会社に帰属A新聞は共同会社より有体財産を借り受け、会社の任命する社員によって新聞を発行するB通信はドイツのDNBにならい、すべて同盟通信社より提供する―というもの。これには朝日、毎日、読売が猛反発し、政府も軍も撤回する。

 新聞社も新聞用紙の配給確保のため、翌1941年に社団法人日本新聞連盟(田中会長)を発足させ、政府から情報局長など要職に迎える。連盟の事業は@言論報道の統制に関して政府に対する協力A新聞の編集ならびに経営の改善に関する調査B新聞用紙その他資材の割当調整―を掲げている。各新聞者の入・退会は自由であったが、資材の割当に影響するため全国の新聞は否応なく加盟させられる。用紙を含む資材の配給と共販制度、広告統制は大新聞にとっては少なからぬ犠牲であったが、地方紙にとっては大きな恩恵だった。理由は、自由競争が続けば用紙はもとより新聞発行資材の欠乏によって地方紙は発行不能に陥ったかもしれないし、共販制度により大新聞の地方侵略を阻止し、広告統制も地方紙の収入を一応安定させたからだ。

 つぎに政府が出してきたのが「一県一紙制と新聞一元会社案」である。狙いは全国新聞統制会社の設立にあったとしている。連盟の理事会では地方紙6社はいずれも賛成。中央紙では報知と国民が賛成だったが、朝日、毎日、読売は反対を表明した。理事会はまとまるわけもなく打ち切り。小委員会で具体案を作成することになるが、新聞社側を完全にシャットアウトされる。読売の正力氏が「これが通れば新聞の自由はなくなる」と最も抵抗したといわれている。しかし、その政府の共同会社案も反対した三紙が廃止に持ち込んだのだ。ただし、理事会では以下の田中会長裁定した案を無条件で承認。政府もそれを採択(新聞事業令の公布)することになる。@新聞社はすべての法人組織とし、その株式または出資は社内従業員の保有に限定するA新聞経営には適正利潤を認め、その配当は一般国策会社並みとするB新聞発行はすべて許可主義とし、その首脳者には一定の適確条件を設けるとともに、他の営利事業との兼業を許さないC社団法人日本新聞連盟を強化して統制機関とし、官庁権限もそれに委譲して新聞の統制整理を助長するD別に新聞共同株式会社を設立し、統制機関運営上の財政処理機関とするE新聞を国家の公器たらしめるとともに、その個性と特色を尊重し、その創意と経験を活用せしめ、用紙その他の資材供給に便宜を与え、租税公課の負担につき特別優遇を与えるF以上の実行にあたっては法令制定の要あるもの少なからず、政府のしかるべき措置を期待する―著者は三紙が足並みをそろえて抵抗したことの成果と記している。

 1942年には内閣の告示で全国104の日刊紙が新聞会会員として指定され、2月5日に日本新聞会は発足する。新聞共同会社案に代わって出現した日本新聞会は中央も地方も大多数の新聞が“好まぬ相手との合同を強いられ、題号を変え、組織をあらためて”再出発しなければならなかった。東京では「報知」が「読売」に、「国民」が「都」に、「日刊工業」が「中外商業」に合併され、「読売報知」、「東京新聞」、「日本産業経済新聞」に看板を塗りかえた。大阪は「大阪時事」と群小新聞を統合した「夕刊大阪」が合併して「大阪新聞」に、同じく業界紙を統合した「日本工業」が「産業経済」と改題した。名古屋では、多年競合しあっていた「新愛知」と「名古屋新聞」が合併して「中部日本新聞」となり、「福岡日日」と「九州日報」が一緒になって「西日本新聞」、「北海タイムス」以下北海道の全新聞が統合されて「北海道新聞」となり、各府県とも、すべて一県一紙に整理された。この結果、それまで104あった新聞社の数は54社になった。これを強行したのが特高警察と新聞会であったと…著者の解説は続く。

 戦時中の言論統制の歴史をみると新聞もさまざまな弾圧を受けながらも闘ってきた。しかし、権力には立ち向かえなかったのだろう。反省の上に立って「二度と戦争のためにペンを執らない、輪転機は回さない」ことを新聞人は誓うべきだ。
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2006年02月26日

非国民と非難されるのは名誉なことだ!信念を貫くアメリカ人俳優

 グランドキャニオンやアンテロープを観光するためにラスベガス(ネバダ州)に2度行ったことがあります。当方は博打の才能がないのでカジノではお遊び程度…。世界有数のエンターテイメントの街としてスゴイ勢いで発展してますが、ラスベガスへ行った際に滞在したホテルが舞台となった「オーシャンズ11」という映画が気に入り、続編「オーシャンズ12」のDVDも購入。ジョージ・クルーニーやブラッド・ピット、ジュリア・ロバーツの掛け合いが面白く、気に入っています。

ジョージクルーニー.jpg
 そんなジョージ・クルーニーがアメリカ国民から「売国奴」呼ばわりされているというニュースが入ってきました。彼が主演する映画「シリアナ」は米国の石油戦略とイスラム過激主義を扱った作品であることと、彼が米軍のイラク侵攻に反対していることなどから批判を浴びているようです。
 ジョージ・クルーニーは1961年生まれで、米国ケンタッキー州の出身。数々のハリウッド映画に出演(最近は監督業も務める)する傍ら、SAG(俳優労働組合)の役員を歴任するなど活動は幅広い。反戦を訴える彼が「売国奴」といわれるのは、ファンとして心外なのですが、「非国民と非難されるのは名誉なことだ!」と軽く言い切る彼の姿勢はカッコいい〜と感じます。



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2006年02月25日

全下野労組の印刷部門別会社化争議『苦渋の末、地労委あっせんで収束』

 栃木県にある下野新聞社と全下野新聞労働組合の争議(印刷部門の別会社化と印刷部員組合員の転籍)が、24日に開かれた労働委員会の第3回あっせんで、収拾の方向に向かっています。労使間で、会社の新会社設立、転籍者募集、新会社での社員採用に対して、組合が異議を述べないことや、転籍者の労働条件については今後協議し、年収ベースのカット幅を最大17%にするなどの協定書に調印。細部の調整については、今後の団体交渉などで決めていくとのこと。
詳しくは全下野労組ブログ「闘争日誌!」を参照してください。

今回の争議を少なからず支援をしてきた側からすると複雑な気持ちですが、自分たちの労働条件を自分たちで決定し、自分たちで運営する労働組合(執行部)の決断なのですから尊重したいと思います。大変お疲れ様でした。今後の条件整備に向けて更なる団結を願ってやみません。

この争議を通じて、個人的に2つの問題点を考えさせられました。
ひとつは「労働協約とは社外でどの程度の効力があるのか」という点です。労働法の概念自体が「資本の原理」や「格差社会」によって弱まってきているのではないかと感じています。今回の争議で同労組が宇都宮地裁に対して「会社側計画撤廃」仮処分申請を行ないましたが、宇都宮地裁の判断は「会社が十分に組合に説明すれば、組合の合意はなくとも構わない」という解釈を示しました。労働協約はそれぞれの労使間の憲法のような位置づけなのですが、会社分割制度(商法改正により2001年4月施行)などの法改正によって、企業に働く人達は「持ち株会社」に支配され「子会社の社員」になってもおかしくないという企業側の理屈によって、私たち労働者の権利が徐々に後退して行くのではないかという不安は拭えません。

ふたつ目は、「新聞社の印刷部門の切り離し別会社化の更なる加速と資本独立の意義が危ぶまれる」という点です。新聞社の印刷部門を別会社にするという動きは全国的に広がっています。東北でも福島民友新聞社(転籍)、河北新報社(出向)が、すでに印刷部門を別会社として稼動させており、今年4月から秋田魁新報社(出向)も別会社を設立し印刷業務を移管させるようです。
新聞は取材、印刷、宅配それぞれの工程を辿ってひとつの商品となるわけですが、宅配に加えて印刷部門までも別会社となると新聞社の意に反して輪転機が回らないという事態も起こり得るのではないかと心配します。「別会社とはいえ経営権は有している」と経営側は語るのでしょうが、例えば印刷会社に別な労働組合が組織されストライキが行なわれた場合なども想定されるわけです。印刷会社の従業員として採用される方々が「新聞の使命」をどれだけ認識できるのかは未知数ですし、これまで読者に提供してきた新聞の流通の質的向上にはつながらない思います。
また、新聞社資本の印刷会社も稼働率を上げようと印刷物の受注をめぐって、既存の印刷業社との軋轢も起こりえるでしょう。

【全下野新聞労働組合のコメントから】
 我ら敗れり、しかし倒れず。組合再生、経営民主化、新聞印刷と印刷の仲間を守る・・・この言葉を噛みしめて、進んでいくことをここに表明します。

 噛み締めましょう・・・

posted by 今だけ委員長 at 12:37 | Comment(2) | TrackBack(0) | 時事ニュース

2006年02月21日

「押し紙」の項目がまるっきり抜けている新聞特殊指定の報道

 新聞の特殊指定問題について、読売新聞(2月20日付)が「新聞の特殊指定『存続』84%」(本社世論調査結果)を1面で報じ、社説と特集記事で「新聞の特殊指定の見直しは、国民の利益に反する」と主張。その翌日の朝日新聞(2月21日付)も歩調を合わせた格好で「新聞宅配制『維持』91%」との世論調査結果を報じました。ともに「販売店による値引きを禁止した特殊指定を公取委が撤廃しようとしている」との解説ですが、調査結果について相当な違・感を覚えます。
 調査における設問が「新聞の定価は全国どこでも一律に保つべきか?」と問えば“はい”と答え、「新聞の宅配制度は続けるべきですか?」と問うても“はい”と答えるのは当然だと思います。今回、その回答を「特殊指定は存続させた方が良い」と結びつけるのは、ずいぶん強引な解釈だと感じます。
 また、紙面では新聞特殊指定に定めている三つの項目のうち、第3項にある「発行本社が販売店に対する押し紙の禁止」について、その説明がまるっきり抜けています。あくまでも特殊指定は「販売店が定価を割り引く行為に結びつく」のであって、「販売店を過剰な競争に巻き込んだ結果、サービス向上どころか、国民、読者の利益を損ねてしまう」としか伝えていません。特殊指定を論じるにあたり、両紙の記事は不完全なものであり、新聞社の都合を優先させた報道であるわけです。
 以前のエントリーでも書きましたが、販売店からすると「購読料の値引き、割引きの禁止」は当然ながら、「押し紙」の規制を何とか残さなければならない。したがって新聞の特殊指定は残されるべきだと思っています。

 昨日、岩手県盛岡市で新聞労連東北地連の主催による「販売正常化委員会総行動」が開催され、もと公取委の伊従寛さんが「新聞の特殊指定の見直しと新聞業を取り巻く現状」と題した講演会がありました。伊従さんは独禁法の概念、新聞特殊指定見直しの原点などを説明、新聞の特殊指定を守るべきだとの立場で「新聞業界がもっと特殊指定を具体的に見直すよう逆提案するべきだ」との考えを示しました。
正常化総行動 特殊指定 004.jpg
 質疑の間に今だけ委員長が「読売新聞が発表した世論調査結果などは、公取委が特殊指定の存廃の判断を下すうえで影響するでしょうか?」と質問したところ“公取委は法律(独禁法)の概念を考えるので、このような数字は意識しない”また“市民が特殊指定の問題を理解しているとは到底思えないので信憑性はない”との返答でした。
 今回の紙面報道では、公取委が特殊指定の存廃を検討する材料にも値しないということですし、多くの読者が違・感を抱くのではないかと懸念しています。
posted by 今だけ委員長 at 17:30 | Comment(7) | TrackBack(5) | 特殊指定

2006年02月19日

新聞特殊指定と販売店労働者の関係

 先日(2月15日)、販売店労働者4人で東京霞ヶ関にある公正取引員会へ「新聞の特殊指定の見直し」の真意、見直しの条項などについて意見を伺うため5項目の申し入れを行い意見を交換してきました。
 昨年11月2日に公取委から“新聞など5分野の特殊指定制度の見直し”が発表されて以来、正確な情報が伝わらず憶測や推測の情報(特に業界紙による)が横行して、新聞販売店に働く労働者の不安が広がっていることから、今回の申し入れを行いました。
 このブログでも特殊指定の問題について触れてきましたが、米国主導による規制緩和政策がこの種の“見直しや廃止”の根底にあります。でも今回は新聞社の販売行為に対する批判を受けて、販売店からの視点でこの特殊指定の問題を考えてみたいと思います。

【公取委とのやり取りの要旨】
○特殊指定の見直しについての考え方は?
 特殊指定は民間(新聞社や販売店)の契約等を制限しているものではなく、公取委内にある規制であるから、制定から時間も経っており、近年適応事例もないことから現在、見直しを検討している。
○値引き販売等によって乱売が加速するのでは?
 不公正な取引があれば一般指定の範囲でやり得る。新聞業界の自主規制「新聞公正競争規約」を実践していれば何も問題はないのではないか。特殊指定がなくても定価販売は再販で担保されている。新聞社と販売店の現状の関係考えても販売店が勝手に不当廉売をするとは考えられない。
 再販は新聞社の権利であり、販売店が値引き販売をした場合に違反として公取委が取り締まるようなことはない。定価販売をしない販売店を黙認した新聞社の問題。民と民との取引を制限するものではない。
 新聞特殊指定の第2項のみを検討するというようなことは公取委は言ったことがない。新聞各紙(業界紙)の報道に違和感がある。特に業界紙は勝手に特殊指定の問題を大げさに取り上げて、あたかも第2項についてというような展開をしているが、新聞の特殊指定3項目すべてについて検討している。
○販売店への押し紙問題について
 「押し紙」の問題は発行本社の優越的地位の乱用に当たるので、販売店からの申し立てがあれば当然受ける。公取委審査局情報受付窓口に申告して欲しい。匿名でも相談を受ければ「このような証拠を集めてください」などの指示はする。ただし、調査をする段階で販売店名が公になる可能性はある。裁判をしても勝てないというが、証拠が不十分だからだろう。

 約1時間の議論での印象は、なぜ公取委が「新聞の特殊指定見直し」の発表(昨年11月2日)をした際に新聞各紙(特に業界紙)は「第2項」をクローズアップしたのか?紙面で「押し紙の禁止条項」を掲載しづらかったのか…。なぜか業界自体で「値引き販売」を煽っているように感じられました。また、「押し紙」問題で「販売店が裁判を起こしては負ける」と実情を話したところ、「一般指定」で申し立てをした方が販売店も押し紙問題を改善できるのではないかーなど不公正な取引は特殊指定ではなくとも、一般指定で十分対応できるというものでした。

 新聞の特殊指定問題については、違法な販売行為(全国紙)を行っている新聞社を規制によって保護(独禁法の特殊な商品として)する必要はないという意見が少なくありません。しかし、販売店の労働者からすれば死活問題なのです。
 問題になっている違法な販売行為は、その多くが発行本社の指示によるものです。拡張員と呼ばれるセールスチームも発行本社が販売店に受け入れの指示をしているのです。また、ビール券や商品券の類も発行本社が販売店へ斡旋しています。販売店に送られてくる必要以上(その販売店と購読契約をしている読者以上の)の押し紙の受け入れも販売店は断れない。断れば本社の指示を聞かないということで改廃させられてしまうのです。2000年10月には新聞業界の自主規制ルールが書き換えられ、それまでの「押し紙、積み紙、抱き紙」の罰則規定が外され、「予約紙」の項目だけになり、新聞業界には「押し紙」は存在しないことになっています。すべてが発行本社の都合の良いように仕組まれているのです。
 新聞社は読者の信頼を得られる紙面の質で競争をするべきだし、販売店は毎日正確に配達をし、新聞公正競争規約のルールに基づいた営業行為を実践すべきなのですが、全国紙による愚行が問題なのです。
 新聞の再販制度は、新聞社の権利(販売店に定価販売やテリトリーを守らせる)なのですが、特殊指定はいわば販売店と発行本社の不公正な取引関係に歯止めを掛けてきました。「押し紙」を禁止する第3項などは、まさしく零細な個人販売店には必要不可欠なものです。その特殊指定が見直されれば、多くの販売店が経営難に陥ることは必至なのです。

posted by 今だけ委員長 at 00:00 | Comment(2) | TrackBack(2) | 特殊指定

2006年02月11日

批判というものは、傷を負う覚悟でないとできない

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新聞が衰退するとき
著者 黒田 清(文芸春秋)1,000円

 故黒田清氏が、1987年1月10日付けで読売新聞社を退社した同年8月に発刊された。「黒田ジャーナル」を創設し、戦争や差別社会に反対する視線でミニコミ紙を発行するなど草の根ジャーナリストとして活動を続け、2000年7月23日に永眠するまで「記者魂」を貫いた。
 その著者が、読売新聞(マスコミ)を去って、「マスコミ生活35年間の卒業論文」のつもりで書いたという1冊。

 読売新聞社に記者として在籍した35年間、黒田氏率いる「黒田軍団」の実績は凄まじいものだ。しかし、ナベツネは黒田氏を「目の上のたんこぶ」と取材現場から追いやった。当時、中曽根首相とべったりの読売新聞東京本社。同じ読売でも大阪本社の「黒田軍団」が政府を叩きや警察を叩く“まともな”紙面展開が気に入らなかったのだろう。
 黒田氏は「読者を大事にする新聞社とは、新聞記者の一人ひとりを大切にする新聞社なのである」と述べ、新聞社では記者の方が社長より“偉い”のだと言い切る。そんな黒田氏が読売新聞社を去る理由はナベツネとの確執に違いない。黒田氏は続ける「記者を大事にできない組織、社長の意見以外の意見が言えない組織は、社会をよくするために存在する新聞社ではなく、活字で埋まった新聞を発行している会社にすぎない。またそういう会社で働くものは、新聞記者ではなく、新聞社の社員であるにすぎない」と。読売新聞に「新聞が衰退するとき」を感じて、船(大新聞社)が沈没する前に逃げ出すネズミのようにマスコミから去った―とあとがきに記しているが、やはりジャーナリズムは大組織においては抹殺されてしまうのだろうか。

 黒田氏とは13年ほど前に仙台で開催されたマスコミフォーラムへ講師として来ていただいた時に話をしたことがある。夜の飲み会にも付き合ってもらった。こちらは販売労働者なので、読売新聞の不正常販売について質問すると、「社内でも水増し部数について、みんな黙認しよる。言えば(正そうとすれば)飛ばされる。読売はそんな会社や!」と大きな声で話してくれたことを今でも忘れない。
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2006年02月09日

売れる見出し? 新聞紙面は勢いじゃないのだ

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「虚報」の構造
著者 真神 博(文芸春秋)1,300円

 新聞はなぜミスリードをするのか?
 昨年は、大分虚偽報道が相次いだ。おおよそ記者の処分で、その捏造記事(虚報)をご破算にする新聞社なのだが、その根底にある「いいや書いてしまおう」という発想は何故?生まれるのだろうか。

 なだしおー第一富士丸衝突事件や戸塚ヨットスクールの集団リンチ事件では、虚偽の証言を鵜呑みにした新聞記者の実態と真実追求を怠った新聞社の取材体制の足りなさを指摘。ベトナムの二重体児(ベトちゃん・ドクちゃん)を救え!というマスコミのキャンペーンを実は政治家が利用していたことなどを追及。さらに、強盗を追走して逆に刺殺された大学生の報道をめぐって、実は「死因はいくつもの病院をたらい回しにされたことによる出血多量によるもの」であることが判明。事件を美談化するマスコミの報道姿勢を検証している。

 この書籍は17年前に書かれたものだが、その当時から「抜いた・抜かれた」という速報的な紙面競争と、より売れる紙面(見出し)、読者に感動を与えられる紙面を勝手な思い込みで書いた記者の穿った発想は続いている。
 やはり、新聞が読者から離れていったのだろう…
posted by 今だけ委員長 at 01:32 | Comment(2) | TrackBack(0) | 書籍紹介

2006年02月03日

やりたい放題の村上ファンド

 金の亡者がまた世間を騒がせています。いや、騒がせているというより“人の心”を持ち合わせている方なのか?と怒りを通り越して生い立ちなどを分析したくなりますよ。

 その方は、元通産官僚の村上世彰氏さん。彼が率いる投資ファンド(通称・村上ファンド)のマネーゲームは何かと話題を呼んでいますが、今回は老舗百貨店「松坂屋」の筆頭株主という権利を濫用して、全従業員の解雇などを非公式に打診されていたことが判明。今日の報道では「従業員解雇には触れていない」とされていますが、松坂屋幹部は「あまりに非常識」と述べています。

 従業員を一旦解雇して、再雇用するという人件費抑制のやり方は許されない。人の生活権を奪う暴挙に他ならないと感じます。
 しかし、村上氏を賛美する若手経営者も少なくありません。でも考えて欲しい。人の気持ちは金では買えるわけがないし、金の力で「奴隷化」をすすめる村上氏の手法が、果たして住みよい国をつくることにつながるのかと・・・。
posted by 今だけ委員長 at 12:59 | Comment(2) | TrackBack(0) | きょうの喜怒哀楽

2006年02月01日

「泳がせ捜査」記事問題で役員を含む社員7人を処分した北海道新聞

 北海道新聞社は1月31日「泳がせ捜査」記事の問題で、役員を含む社員7人の処分を発表。処分は編集局長の役員報酬の30分の1を1カ月間だけ減給。編集局総務と編集局次長を日額2分の1の減給、記者3人をけん責、当時の編集本部委員1人を戒告―という内容

 この問題は、北海道新聞社が道警の「泳がせ捜査」報道に関し、取材内容が不適切であったと1月14日付けで「おわび」を掲載。道警が「記事の訂正」を求めるなど北海道新聞の動向が注目されていた。この問題については、このブログでも取り上げたが、北海道新聞社が道警との関係を修復するために「おわび」記事を掲載したのかどうかの判断は「不適切な記事」を書いた記者への処分(「泳がせ捜査失敗」を担当した記者と「裏金問題」を取材した記者(デスク)は同一人物)であり、道警が文書で送りつけた「記事の訂正・削除」をするかで判明するだろうと見守っていたのだが…。そういうことだった。

 北海道新聞社が取り組んだ「道警の裏金問題追求」によって、道警から相当な圧力が加えらていたのかもしれない。しかし、新聞の役割とはなんだろう?権力に立ち向かえない新聞はジャーナリズムを語ってほしくない。「真実の報道」をしていないから、読者は離れて行ったと感じる。また、この問題に関連して、毎日新聞の報道がマスコミ(新聞社)同士が揚げ足取りをするという下らない構図を印象付けた。問題の根本を探ろうとせず、相手を叩くことで満足している記者が書き上げる新聞を読みたいとは思わない。

  ジャーナリズム宣言?.jpg  
 新しい朝日新聞社のキャッチコピーは「ジャーナリスト宣言」。ジャーナリズム(ジャーナリストも同様に)という言葉が簡単に扱われてはならないと思う。もっと新聞の役割を認識してもらいたい。
posted by 今だけ委員長 at 00:00 | Comment(2) | TrackBack(1) | 時事ニュース
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