2005年12月30日

従業員の大人化が進む新聞販売店

 年末に業界紙を眺めていたら、新聞販売店・従業員総数調査が載ってました。
 「総数44万625人で1.0%減」。9年連続で販売店従業員が減少しているそうです。どの新聞社も部数は横ばいと言っているのに“なぜ”って思いますよね〜。

 日本新聞協会販売委員会の販売労務部会がまとめた2005年10月1日現在の結果内容では、全国の新聞販売店数は20,918店(前年比▲146店)と9年連続して減少。従業員総数は、440,625人(前年比▲4,498人)。そのうち「新聞少年」(中・高校生の男女を称します)は17,175人(前年比▲3,807人)で、2万人を割りました。「新聞少年」の労働者数を地区別に見ると九州地区が4,433人(25.8%)が最も多く、東北地区が3,541人(20.6%)と続いています。新聞奨学生の数も年々減っています。大学・専門学生のアルバイト口は首都圏ほど多様ですからね。
 「新聞少年」による配達作業は美徳化されがちですが、安い賃金(安価な労働力に頼った)で販売店の経営を支えてもらったことも事実なんです。


 新聞配達員もだんだんと大人の仕事になっています。昔と違って折込チラシの量も増えて、体力がなければ新聞配達は出来ません。読者からの要望も多様化し、本当の意味で「戸別対応型配達」が行われています。個人情報の保護に関する法律の施行も、販売店従業員の雇用見直しに拍車を掛けました。
 その意味では販売店の人件費(配達労務費)は間違いなく増えています。大人化したことで昔のような“どんぶり勘定”とはいかなくなったのです。短時間労働とはいえ、週休すら取得できない販売店もまだまだ少なくありませんが、徐々に「3K職場」から抜け出せる労働条件に近づいているのかと…。業界の内部構造を販売店から変えていきましょうか。
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2005年12月28日

自分のキャパを広げてくれたネットに感謝

 新聞販売店では年内の集金業務、元旦号の折込チラシの組み込み作業作業などに追われ、慌しい年の瀬を迎えています。
 今年は自分の生活において、このブログ立ち上げやSNSでのコミュニティなどネットとの関わりを深められました。これまで興味ある「ネタ」を探すことだけにしかネットを活用していなかった自分に、さまざまなミーティングに半ば強制的に誘ってくれた“わかばやしくサン”をはじめ、多くの方からご指導ご鞭撻を頂戴しました。睡眠時間はだいぶ減りましたが、自分のキャパシティは確実に広がったと思います。

【今年の5大ニュース】
@新聞特殊指定見直しについて公取委が見解を表明
A相次ぐ新聞記者の不祥事(記事捏造、発表記事の丸写し報道等)
Bみんなの滋賀新聞が廃刊
C産経新聞が電子新聞「Netvew」配信開始
D元新聞労連書記長 小倉三千雄氏死去

 来年も特殊指定見直し問題など新聞への向かい風は強まるばかりですが、『新聞の役割』を名実ともに果たせる業界構造に向かうよう販売労働者として行動していきたいと思います。
 来年もよろしくお願い申し上げます。

来年に向けて、模様替えをしてみました!
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2005年12月26日

無限の可能性を秘める新聞販売店

ニューメディアの時代に新聞販売店の明日はあるのか?.jpg
ニューメディア時代に新聞販売店の明日はあるか?
著者 佐野 進(プレスセンター社)3,000円

 毎日新聞の販売店を経営する著者が1983年に発行した「新聞の将来」、「販売店が取り組んでおくべきこと」などの指南書。
 当時は「ニューメディア時代の到来」との言葉が流行し、新聞の個別宅配という情報伝達手段が電波やケーブルを使って読者に送られるシステムへの脅威が業界内外で大きな話題になった。文字多重放送、各家庭へのファックス普及、キャプテンシステムやCATVなど電波と有線(エレクトロニクス媒体)による「情報の速報性」への脅威だったのだろう。しかし、現代では速報性だけではなく、ネット(ブログ)による情報検索や双方向性などネットメディアからの影響は新聞の役割自体にまで及んでいる。

 販売正常化の問題も販売店の経営者らしく「なぜ正常化が出来ないのか」が詳しく書いてある。「部数の過当競争を続けていれば、新聞販売店の明日はない」と断言し、1964年4月に告示された「特殊指定」に関連して、業界に正常な販売競争(正常な競争とは価格や景品ではない)を公取委が求めた背景なども詳しく記されている。
 著者は「無限の可能性を秘める販売店」を実践していくのは「自分たち販売労働者だ」と述べ、発行本社から自立できないことを発行本社のせいや取引関係のせい、社会的地位のせいにするなと檄を飛ばす。「新聞販売業界を変えたい」という情熱に満ちた話は自分と重なり感銘する。販売店従業員の労働条件や社会的地位の向上に取り組み、優秀な人材確保をして行かなければならないと述べている。また、この時代に販売店が持つ顧客情報(データベース)の活用や、宅配事業へ進出すべき―などの指南は的確であり、20年経った現在に生かされている。

 時代は「ユビキタス社会」。新聞の役割はきちんと継続させながら、媒体が多様化する時代に新聞産業の将来を販売店労働者も「誰かのせい」にせず、行動していかなければならない。販売店の機能が「宝の持ち腐れ」とならないように・・・。
posted by 今だけ委員長 at 17:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍紹介

2005年12月24日

具体的な行動が伴わなければ国民の理解は得られない

 今月14日に社団法人日本新聞協会の会長に就任した北村正任氏(毎日新聞社社長)。業界紙はもちろんのこと、地方紙にも共同通信社のインタビュー記事が掲載されている。
見出しは「メディアの信頼取り戻す」が多い。北村氏のスローガンなのだろうが、誰に向かって発しているのか疑問だ。国民に対してなのか、業界内に対してなのか。いづれにしても口先だけのポーズとしか受け取れまい。

 インタビューの中で、特殊指定に関するQ&Aがあった。
−割り引き販売などを禁止した新聞業の「特殊指定」について、公正取引委員会が見直しを検討しているが?
「もちろん反対だ。普通の商品と同じように競争原理を導入すれば、強い者だけが残り、多様性が失われる。多様な報道が共存する状況を守らなければならない」と答えている。

 このような答弁では、公取委が主張する「見直しの理由」を取り下げさせることが出来るわけがない。新聞業界に突きつけられた問題点はもっと多岐にわたっている。だからこそ具体的な問題点を挙げて、国民から理解を得られるような行動を早急に講じるべきだ。

 口先ばかりで具体的な行動が伴わなければ、新聞業界への信頼はますます低下してしまう。だから新聞経営者には具体策を求めたい。

 先週の15日に新聞労連が「新聞の特殊指定」改廃に反対する声明を発表した。新聞協会の声明と比較すると「販売問題の改善」など現行の問題点の是正に着手する必要性を掲げ「国民の目線」に立った表明だと感じる。あとはそれをどう具体的に取り組んでいくか、いや新聞経営者にどう取り組ませるかだ。
posted by 今だけ委員長 at 02:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 特殊指定

2005年12月22日

再販制度の本質とその背景を見極める必要がある

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出版再販−書籍・雑誌・新聞の将来は?−
著者 伊従 寛(講談社)2,000円

 1995年から繰り広げられた出版物再販制度の議論に対して、公正取引委員会の委員として議論に加わっていた著者が、再販制度に関するさまざまな報告書や各国の出版再販制の現状などを詳しく解説している。
 一般商品を「物質文明」の所産という定義のもと、出版物は人間の独創的で多様な「精神文化」の担い手であるという違いを「消費者利益」の見地から『出版物再販制は必要』との理論で構築されている。

 著作物の再販制度が議論される背景には、日米構造問題協議(SII)で、日米間で独禁法への強化に合意したことが発端だ。1990年6月にまとめられた最終報告書の内容は@10年間に430兆円の公共投資を国民にはかるA高価な土地問題を解決するB流通での自由競争を促進するC独占禁止法を強化するなど。アメリカ側の措置としては@財政赤字削減A過度の規制の緩和B長期的に企業経営を促進するC輸出規制の緩和など―。要は日米の貿易赤字解消のためにアメリカが日本の市場経済に乗り出してくるのに困難な規制を取り払うことが目的であって、アメリカ型利益追求の競争社会を導入しようとする目論見なのだ。政府も「消費者の利益」やら「日本的市場の開放」を国民に煽り、価格破壊という言葉が流行った反面、失業率の増加や労働賃金の減少などが大問題となったのだ。

 1995年に公取委の「政府規制等と競争政策に関する研究会」(座長=鶴田俊正専修大学教授)の下部機関である「再販制度問題検討小委員会」(座長=金子晃慶応大学教授)が中間報告を公表したことから業界内外でさまざまな議論が交わされた。新聞については、中間報告書の第5部で「国民生活にとって欠かせない情報を購読者に対して、毎日、迅速に、しかも同一紙・全国同一価格という形で広く販売されること、すなわち戸別配達と関連があるとの指摘もなされている」として、新聞の再反制容認の理由に挙げられたものの、戸別配達が再反制なしに維持できないものではないとの議論が浮上。理由としては戸別配達制度は広告収入や部数を拡大していく上で有効であって、再販制がなくとも戸別宅配制度が消滅することはありえないとし、一部の専売店の経営が困難になっても複合店で対処できる。また増紙のために過大な販売経費を掛けている実態の中で、宅配維持のための支出はしていないとした。しかし、著者はこの内容を「現実的ではない」と批判。再販制度は同一紙の価格競争を持ち込むことなどで、販売店の労力が増し、他の販売店とも価格競争が起こり、経営が不安定になるのは必至迅速かつ確実な宅配制度は崩壊すると明言している。

【資料集】規制緩和小委員会が打ち出した規制緩和の意見。
『新聞レベルの維持』
●販売店レベルでの値下げ競争が行われることが、直接に、発行本社の経営悪化とはつながらない●発行本社レベルの価格競争が質の低下につながるというのは市場メカニズムを否定することであり、カルテルを容認することとなる●不当廉売は、それ自体で取り締まればよく、他の産業と区別する必然性はない
『選択肢』
●再販制度は流通段階でのブランド内競争を制限しており販売店間でブランド内競争が行われることとなっても、それがすぐに新聞社の倒産にはつながらない●そもそも、競争が即、寡占化をもたらすということは、市場メカニズムを否定することになる
『戸別配達制度』
●戸別配達制度を含めた流通制度も、消費者の選択に任せればよい●国民は戸別配達制度だけを支持しているわけではない●むしろ、戸別宅配と表裏一体となった厳格なテリトリー制のために、鉄道駅以外での販売が行われにくく、月単位でのセット販売が事実上強制されることになり、消費者の自由な選択が著しく阻害されている点を重視すべき●特に、首都圏においては、首都圏新聞即売委員会が中心となってまとめた即売網領に基づき、事実上コンビニでは一般日刊新聞は販売されていない●テレビ等、他のメディアの著しい発達、情報化の進展、多くのマスメディアが厳しい競争にさらされているなかで、新聞だけを不可欠な情報媒体として再販で保護し、聖域視する必然性はない
『再販の弊害』
●新聞業界では、価格設定が同調的に行われるなど、新聞発行本社間の価格競争が必ずしも十分とは言い難く、一般消費者の利益を損なっている●再販制度や告示で新聞販売店が購買者を値引きによって勧誘することができないことにより、新聞発行本社・販売店による過大な販売促進費支出や、過大な景品付販売等、非効率な取引慣行が生じている

 内容を精査すると“現実離れをしている発想”としか言いようがなく、机上の論議では限界がある。このような発想のもとに新聞特殊指定の見直し議論がされるとしたら、一番の弱者である販売店の従業員にしわ寄せが来るのだ。著者のあとがきには、「新聞の景品付販売など多くの改善すべき問題が残されていますが、これらは再販制の問題とは別に解決すべき問題」と結んでいる。
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2005年12月20日

ブログによって既存のマスメディア(幻想ジャーナリズム)が「炎上」される日も近い?

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ブログ・ジャーナリズム
著者 湯川鶴章・高田昌幸・藤代裕之(野良舎)1,500円

 自分もブログを始めて4カ月。著者の3名とも1回ないし2回お会いをして、話を伺ったり、酒を酌み交わしたが、この本を読んで更にそれぞれの考えの奥深さを感じた。
 第1部は「ブログ・ジャーナリズムの可能性」について、湯川氏がコーディネートして高田氏、藤代氏との対談がまとめられている。互いの考え(主張)がハッキリと記されており、対談でありがちな「妙なまとめ方」をしていないのが良い。興味本位や流行に乗って始めた初歩的ブロガー(自分も含めて)にはお勧めをしたい。
 第2部は「ブログと情報」と称し、ブロガー4氏による討論を掲載。マスメディアに対する意見やブログの役割・課題を提起しながら、「やっていて面白いことが一番」と締めくくられている。
 第3部は高田氏のブログ「ニュースの現場で考えること」の2004年12月27日〜2005年8月17日までのエントリーを掲載。巻末には著者3氏の「お勧めブログ」も載っている。一つひとつ開いてみると、それぞれのブロガーの考えが同じ目線で伝わってくる。「ブログ」発信はネット上なのだけれども「同じ目線」を読者が求めているのは間違いない。
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2005年12月17日

人生は山を乗り越えるたびに「信念を貫くか」、「立場を守るか」に立たされる

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クライマーズ・ハイ
著者 横山 秀夫(文芸春秋)1,650円

 今日、NHK総合で「クラーマーズ・ハイ」(主演は佐藤浩市)のドラマが前編・後編に渡って放送された。一昨年に出版された書籍を購入して、感じたとおりにドラマも争点を捉えており、久しぶりにじっくり観れたテレビドラマだった。

 書籍の内容については、1985年に起きた御巣鷹山日航機墜落事故をめぐって、地元紙の上毛新聞社に勤める新聞記者(悠木)と主人公を通じて新聞社の体質、親子・友人との絆が描かれた「勇気をもらえる」一冊。
 新聞社内の問題点もしっかり指摘されており、ジャーナリズムと新聞社経営、編集と販売という組織内での個人の葛藤が書かれている。
クライマーズ・ハイ=人生はさまざまな過去を持ち、それを乗り越えるためにまた山を登る。極限を通り過ぎると陶酔の境地を迎えまた更なる山を目指す。

 悠木デスクがスクープ記事の掲載(取材)による新聞の降版時間をめぐって、販売局長が「発行が遅れると販売店が迷惑をする」と一刀両断するシーンがある。
 その新聞(発行責任者)が読者に対して責任を持つならば販売店(宅配)は如何様にでも対応しなければならないと自分は思っている。なかなか新聞の役割や地域・読者への使命感のようなものは販売店まで浸透しづらいが、昨年起きた新潟中越地震の時に新潟日報の販売店が自分たちも被災しながら「新聞を配り続けた」という使命感を持てたーという話を聞いた。日本では新聞は配達されてひとつの商品になる。それぞれの新聞に携わる従業員が「誰のために」取材し、新聞を届けるのかという意識を共有している新聞社になりたいものだ。
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2005年12月16日

採算合わねば事業縮小  同一価格の提供を約束する再販制度は必要

 12月初旬に宮城県内の乗り合いバス宮城交通(ミヤコー・仙台市)が、グループ経営再建計画のため検討してきた『赤字バス路線廃止』を具体的に打ち出し、関係する各自治体を訪問し計画内容の説明を行っている。
 赤字路線の原則廃止について「利用者には迷惑を掛けるが、会社存続のためにはやむを得ない」と説明。廃止対象とした61路線114系統について、関係する宮城県内の自治体数は33となる見通しだ。通勤、通学という生活の足が途絶えるばかりではなく、お年寄りなどににも大きな影響を与える。

 規制緩和の大号令のもとに煽られる競争社会。「民営化」になれば採算が合わない路線を切り捨て、企業防衛を図るのは当然かもしれないが、少数でも利用者のために企業が果たす役割を公取委などの官僚も考えるべきだ。中央の官僚は何不自由なく生活が出来る環境のもとで生活をしている。新聞の宅配もネットの環境も整備されたところに居住している方々に、このような地方の生活者の不便さなど分かるわけがないだろう。

 バス業界を新聞販売店に置き換えると、再販制度が無ければ経費がかさむ地区(離島等)への宅配は、配達料を上乗せせざるを得ない状況にもなりかねない。しかし、公取委が認める再販制度があるから全国同一価格の新聞が毎朝届けられるのだ。しかし、その公取委が再販制度と連動する特殊指定の見直しを打ち出した。値引き販売などが横行すれば実質的に再販制度は崩れ、販売店の経営はひっ迫し、配達経費がかさむ地区への宅配は困難になる。地方の生活者の生活経費が首都圏より加重になることはあってはならない。過疎化が進み日本全体の居住バランスがおかしくなるだけだ。
 現在進められようとしている規制緩和の発想は、消費者利益を履き違えているように思えてならない。
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2005年12月14日

新聞販売店の「成り立たない経営」を補っているのはチラシ収入

 日々新聞に折り込まれているチラシ。消費者の購買意欲をサポートする媒体として、生活に根ざしているが、全国的にもパチンコ店の折込チラシが凄まじい。宮城県内では1月〜9月までの実績が前年比150%増。1月〜3月まではナント200%増。しかし、8月以降120%台と鈍化しはじめている。
 理由は地元の不採算店舗が閉店に追い込まれたことだ。大資本の「勝ち組」の構図は、ガソリンスタンドに次ぎパチンコ業界でも繰り広げられている。その意味では先行きは「不透明」な商売なのだろう。

 新聞販売店の経営は購読者から頂戴している購読料、新聞に折り込んで読者宅まで届けるチラシの収入で成り立っている。もはや販売店の経営は折込チラシの収入なしには成り立たない。購読料収入だけでは新聞社に支払う新聞原価を捻出するのが精一杯。その理由は販売店が宅配をして購読料を得る読者数以上に商品(新聞)を買わなければならない「押し紙」というものが存在しているからだ。断ればその販売店(店主)は改廃させられてしまう。
 通常、商品の卸売りで「売価収入と仕入れ価格」が同レベルということは商売上成り立たない。販売店がその成り立たない商売を続けていられるのは折込チラシの収入があるから。新聞販売店では、配達に掛かる人件費や販売促進費、読者サービスのためにさまざまな経費が使われる。管轄するエリアの折込チラシ量が多い、少ないによって新聞販売店の経営が左右されるというのが実態であり、チラシという景気変動型の広告収入に依存する体質に変わってきている。販売店の店主がチラシ量を増やすマーケティングをすればよい…?これは不可能だろう。

 過疎地や商業地では折込チラシ量が極めて少ない。そんな地域(山間部など)に限って配達コストは相当掛かるものだ。その経費をそれぞれの読者に負担をしてもらうわけにはいかない。だから、再販制度が存在するし、同じ価格(宅配料を含む)で新聞という商品を提供できるのだ。新聞社も補助金という形でそのような経費が掛かり、チラシ収入が低い販売店には手当てをしているが、「押し紙」というおかしな商習慣を根本的に改めないと公取委が推進する規制緩和政策に歯止めを掛けることは難しい。
 特殊指定についても来年春から本格的な議論が行われるだろう。販売店が値引き・割引を行うことを禁止した条項を無くすということは、実質的に新聞販売店を弱体化させることにつながる。

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2005年12月11日

町内会のイベントで考えさせられた古紙回収リサイクル

 私が住む仙台市若林区の五十人町町内会で恒例行事「もちつき大会」(第14回)が、伊達八幡神社境内で開かれました。
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 昨晩からの雪でとても寒かったけど町内会の実行委員の方々が中心となり、午前10時には拡声器をつけた車で「集まってよ〜」と町内を一周。ローカル色があってよい街なんですよ。
つき立てのお餅は美味かった。お雑煮を2杯ご馳走になり、各家庭に配られた引換券で「ゴマ餅」のお土産までついてるんです。世代的には、中学生以下の子供たちと40代以降の方々。20代から30代の世代は少ないね〜。この世代って照れ屋さんが多いのかなぁ…一番張り切れる世代なんだけどなんて思いつつ、町内会の行事はオジちゃん・オバちゃんがけん引役なんですね。

 今回は「ワケルモービル」がやって来ました。仙台市リサイクル推進課の食器洗浄車なるもので、昨年までは使い捨てのプラ製カップに雑煮等を入れて振舞ってたのが、使い回しが利くどんぶり(仙台市が貸し出し)にお餅を入れて食し、そのどんぶりをワケルモービルで洗浄、ゴミを減らす(リデュース)と再使用(リュース)に取り組んだ。ちょっとした気遣いが、町内会単位で広がりを見せればまだまだゴミは減らせるんですよ〜。

 仕事上でも「古新聞の回収リサイクル」は避けて通れない問題。販売店だけじゃ回収に掛かる経費捻出は厳しいのが実情。新聞社や行政側とタイアップをして取り組まなければ、なかなか実現できません。今は古紙市場が高騰しているから業者さんも協力的だけれど、相場が下落をしたら回収するだけで莫大な経費が掛かるんです。でも販売労働者として「読者が求めること」はやっていかないと…。サービス業の基本ですから。ハイ。
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2005年12月10日

新聞を真によくするには、社会との協力が必要

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社会と新聞
著者 美土路 昌一(朝日新聞社)非売品

 朝日常識講座の第3巻として、1929年に発行された。明治から昭和初期までの新聞の価値、役割などが新聞関係法規(新聞紙法)などと照らし合わせながら、公共機関としての新聞が社会への貢献とその弊害を読者とともに「新聞研究」をするという観点で書かれている。
第1章は、社会的存在価値(報道の批判と供給・現代文化と新聞・新聞と国際関係・新聞と言論自由)。第2章は、新聞の反社会的影響(新聞の誤報記事・新聞の反道徳的方面・新聞の営利化問題)。第3章は、新聞記事の拘束(法律による拘束・日本新聞紙法の欠陥・軍事検閲と新聞・言論弾圧の三大国・新聞の自発的理論化・経営上の理論化)と綴られている。
 第1章の書き出しは「新聞のこの社会における存在の意義はこれを学問的に説明するよりも、まず実際問題として新聞がこの社会から消滅した場合を考えて見れば、それが何よりも一番直裁に総てを説明する」。また、第2章の「新聞の営利化問題」では、新聞社の営利化、商売本意の堕落ということは、他の反社会的影響とともに喧しく論議される新聞の一項目となっている。新聞は社会の木鐸といい、警世の機関というのは当たらぬ。その経営を度外視した新聞は現在においては、それが何かの団体あるいは組合または他の大組織の期間新聞でない限り、存立することは不可能である。然しながら、新聞を以って全然商品なりというのも又当たらぬ。いうまでもなく、その新聞紙の性質が公共的の機関であり社会文化と密接重大なる影響を考えるときにおいて、全然これを以って他の産業、商品と同一視することは極めて無謀な言であり、又最も危険な解釈である。然らば、新聞の営業化、商品化と云う事は如何なることになるであろう。実際現在において新聞紙の営利化と云うことは争われぬ事実である。今日の新聞事業は、昔のそれに比して実に隔世の感がある。前にも屡々述べた如くその新聞の報道戦は、社会の複雑を加わるにつれて、次代にその範囲を広むると同時に、その活動の機関は日に日に整頓し拡大するのは当然である。而して、激甚なる競争の結果は連日のニュース報道にして他紙に遅れるような場合ありとすれば、何人も最早やその新聞を手にせざるに至ったのはいうまでもない」。
 朝日新聞発行らしく、無代紙や赤紙などには触れず「報道における他紙との競争」に軸をおいた提起に止まっている。

 当時の書籍は「ルビ文字」が入っていても書き写すだけでも難しい。
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2005年12月08日

日曜夕刊廃止運動の歴史「小休符があるからいい音楽ができる」

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日曜夕刊がなくなった日
著者 田沢 新吉(講談社出版)1,500円

 現在のような情報産業が発展していない時期、新聞は市民への情報伝達に欠かせないものだった。現在は日曜・祝日、そして年末年始にかけて休刊になる夕刊だが、日刊紙の夕刊は1965年頃までは日曜日も発行され、販売店従業員はそれこそ362日(当時の夕刊休刊日は元旦、こどもの日、秋分の日の3日間)朝も昼も新聞の配達をしていた。
 新聞販売店を経営する高橋政次郎氏は、東京新聞販売同業組合の組合長(第22代目)に就任後、「次の世代の人たちのために」という方針を掲げ、週休制を求めて、全逓信労働組合の中央執行委員長宝樹文雄氏(当時は郵政も日曜配達廃止運動を展開していた)に協力を仰ぐ。新聞販売店のいわば経営者と労働組合が手を取り合い、日曜夕刊廃止運動を展開した。
 日曜夕刊廃止については、新聞販売店従業員の葛藤もあった。「新聞というのは社会の公器。休まないところに新聞の意義があり、われわれは一般社会人とは違って特殊な仕事をしているという“誇り”を持って頑張らなければいけない」と言い聞かせて、当時の新聞奨学生なども学業との両立を寝る時間を割きながら配達業務に従事していた。しかし、時代は高度経済成長に後押しされ、週休制が浸透、日曜日には「本日休業」という札をぶらさげる商店が当たり前になってきた。そこで週休制を一挙に実現することは難しいから、せめて日曜日の夕刊ぐらいは休刊にして欲しいという運動が、東京組合から各地の新聞販売店へと拡大して行った。新聞協会や新聞社への要請行動の始まりである。
 運動は大きく発展したのだが、読売新聞の当時業務局長だった務台氏は「読売新聞は絶対に日曜夕刊は廃止しない。理由はいろいろあるが、要するに夕刊を休めば新聞の使命遂行に支障をきたすからだ。読者にサービスを怠ったり、不便をかけることは社会の公器として通用しない。日曜夕刊を休まなければ、労基法に違反したり人道上の問題などというのは、私からいわせれば、むしろ逆で、代配によって週休制を完全に行うようにすることの方が、より大切なことだと思う」と表明している。全国紙では朝日新聞が1965年1月からとりあえず月2回(第1、第3日曜日)の夕刊を休刊し、休刊した分の増頁は当面行わないという社告を出した。この年から北海道、中日、西日本、東京も2月から隔週日曜夕刊の廃止を発表。信濃毎日、北日本、京都は1月から日曜夕刊全廃を決定する。同年4月からは新聞協会加盟社の40社が追随し日曜夕刊問題が決着したのである。読売新聞も「新聞業界全体のために大悟一番、2月から日曜夕刊を全廃」したのは言うまでもない。
 各社の社告を見ると「雨の日も風の日も、新聞配達に従事する新聞少年や新聞販売店従業員に必要な休養を与えるために実施したものです…」という理由を掲げた。これまでの購読料改定の際も「販売店従業員のため云々」という決まり文句を新聞社は掲げるが、この日曜夕刊問題を起点にして、すべてにおいて「販売店のために」というフレーズが使われるようになったと感じる。
 最後の章では10年間続いた日曜夕刊問題の総括が記され、なぜ10年もの歳月を費やしたかの理由に@各新聞社の増紙競争A個々の新聞社の社内事情B新聞販売店の団結不足C運動の進め方の抽劣さ―をあげている。新聞販売店従業員が「人間らしい生活を勝ち取ろう」と訴えた運動の歴史を後世につないで行かなければならない。

 
 ところでいま、新聞離れに拍車が掛かっている中で、特に夕刊を購読しない世帯が増え続けている。紙面の内容だけではなく習慣性の問題だと感じる。その意味では日曜日の夕刊の復活も全く無視できないと感じている。販売店の休みは休刊日の問題ではなく、若干のゆとりある人員確保が叶えば週休2日も実現できるのである。
 


 

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紙面広告のチェック機能が緩んでる

 12月8日付け各紙に「アガリスク違法広告 警視庁が新聞40紙などに厳正な審査要請」の記事が掲載された。
 健康食品やの違法広告事件に関連して、警視庁は7日、嘘の医薬的効能を記載した書籍の新聞広告を見て商品を買った人が多いとして、広告を掲載した全国40の新聞社に「健康食品関連書籍の広告を取り扱う際には、厳正に審査して再発防止に協力してほしい」というよう成分を送付すると発表。警視庁が防犯目的で新聞に要請するのは異例。薬事法違反の罪で起訴された業者は、警視庁の調べに「新聞に書籍広告を出すと、健康食品の注文が殺到した」の供述したという。
 日常でも週刊誌の広告内容には目を覆うものも少なくない。いわゆる“イエローネタ”が恒常化しており、パチンコ(遊戯業)関連の広告も年々増えている。
 新聞は娯楽性も必要だが広告に関しても、社内でどこまでチェック機能が働いているのか?新聞社も営利企業ではあるのだろうが、「儲け主義」のために「何でもあり」にはならないようにきちんとした社内での審査基準が求められる。
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2005年12月07日

大本営時代を経験した先輩ジャーナリストの指南書

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ジャーナリズム入門
著者 日本ジャーナリスト連盟(銀杏書房)160円

 1948年発行。当時のジャーナリスト連盟に加入する12名の著書をまとめた構成になっている。
 序章のジャーナリズムへの志向について、美作太郎氏(日本評論者編集局長)が寄稿し「ジャーナリズムに心を寄せる人々が、言論出版の自由という合言葉に共鳴し、民主主義の原則をこの世界で生かそうとすることは当然なことです。しかし、この場合の「自由」と「民主主義」とが、すべての当事者に勝手に無拘束にしゃべらせることを意味するのだとしたら、それは危険な形式的な理解というものでしょう。現に巣鴨にいる戦犯者たちは言論出版の自由を有つていませんが、これは日本の民主主義の現実の建て前から見て当然なことなのです」と延べ、「公正な中立という美しい口実に酔いながら自ら民主主義者を気取ることが出来ます」と提起し、「歴史と社会とに闘する、しっかりとした世界観の體得が、新しいジャーナリストのための不可欠な条件である」とまとめている。

 新聞編、出版・放送・ニュース映画編、各国の新聞編、労働組合の章にまとめられ、若き輩に先輩としての助言が詳しく綴られている。

 新聞をつくる目的では、「今日のわが国の時代に新聞が広く社会現象を断片的に報道するということは全然意味がない。第一に社会現象を細大もさらず新聞に載せうるものでないからそこには自ら取捨選択がある。今日何をして何を探るかが問題である一般的にいえば国民を民主的に啓蒙し国民生活を民主的再建の方向に導き国民大衆を一日も早く民主革命感性の方向に紙面は整理されねばならぬ(中略)深刻な問題は今日の国民の死活を制する問題であるのに興味本位の生活と離れたニュースの方に果たして国民は興味を感ずるであろうか。もし興味本位のニュースしか読者の関心がないとしたらそれは新聞が国民にとって切実な問題を提供していないからではなかろうか。ここに大衆の関心に追従し読者の眼を掩う新聞と大衆の関心を高め自らの生活と国の運命の打開とのために国民大衆の感情を沸き立たせその眼を開かしめる新聞の違いがある。今日の日本が未曾有の危機に立っているとしたらこういう立場の新聞もよろしいああいう立場の新聞もあってもいいという悠長なことは断じて許されない」と続く。

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2005年12月06日

新聞の力、影響力は表裏一体! 現代ではどうか?

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新聞と大衆
著者 キンズリー・マーティン(岩波書店)350円

 1955年初版。著者はケンブリッジ大学卒業後、1927年から1931年までマンチェスター・ガーディアンの編集人に加わり、その後ニュー・ステーツマン&ネーションの主筆に就任。
 各章とも思想的な論調で記されており、「大衆に対する新聞としての役割」を第1章「自由とは」、第2章「独占への傾向」、第3章「大衆が求めるもの」、第4章「新聞の力の限界」、第5章「無知と宣伝」、第6章「公共の仕事」、第7章「一つの世界の世論」で構成されている。
 「新聞の力の限界」の章で、印象深い1行があった。『新聞の力とは真相をかくすことである』人々が注意深く選び出されたニュースだけを読んで、真相を全部知らされたものと思い込むものなのだ。だから新聞は絶えず議論を重ねて間違いのないジャーナリズムを確立しなければならないのだ。
 「新聞の自由」は、長期にわたる困難な戦いで勝ち取られた民主主義の根本原則である。その自由とはニュースを無検閲で発表する権利、名誉毀損法の制約内で、政府または他の何びとの干渉も受けずに論評し、批判を加える得る権利を意味する。この権利は本来編集長により主張されるものである。編集長はニュースの真実性について、記者の批判と論評の公正さに関して責任を持つことを、大衆に知って貰わねばならぬからである。この自由は、真実とは公然さと探求することによってはじめて発見され、また政府は世論の監督下に置かねば、その権力を濫用し、そして良識ある世論は正しい情報を基礎にして、はじめて形成される、という論拠の上に立っている。

 古本屋で買われたこの本。要所に赤ペンでラインが引かれ、最終ページには東京大学経済学部の学生の名が記してある。
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2005年12月05日

新聞が大衆から必要と重んじられていた時代と現代とのギャップ

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新聞
著者 千葉 雄次郎(有斐閣)260円

 1955年初版発行の有斐閣ライブラリーシリーズ(正確には、らいぶらりい・しりいず)。
発行当時、新聞は現代社会に生きるための必需品であった時代、日常の出来事について知識の大部分は新聞によって与えられ、その知識にもとづいて日常の業務を行ったり、政治的な判断を下したりしている…というはしがきから始まる新聞の歴史を綴った1冊。
 第1話は、新聞の自由の歴史。「新聞の自由は、世界中の国の憲法で保障されている」までに至った世界各国で新聞が果たした歴史が書かれている。第2話は、新聞の与えるもの。報道的機能、誘導的機能、娯楽的機能に触れている。第3話は、新聞をつくるもの。新聞社の体質、新聞記者の役割について。第4話は、新聞を利用するもの。国際政治の操作を検証し戦争時の報道体制、通信社、外電のあり方。また、新聞と世論として政治宣伝、経済利潤、権力と民衆に踏む込み「新聞の中立性」を求めている。第5章は、新聞を読むもの。如何に新聞が読まれているかについて、情報を欲する民衆が情報を得るばかりではなく新聞に込められた期待が感じられる。それだけ新聞は生活に密着していたし、新聞社もまた読者を向いていたのだろう。

 販売問題にも第3章に「行きすぎの販売競争」で触れており、その一文を引用する。
 新聞の紙面で競争するのはまだよい。販売競争が嵩じると、付録をつけたり、景品をつけたりの競争となる。これはちょっと考えてみてもわかるように、非常に金を食う。この経費は新聞をつくるための編集費とは別に、販売の経費として計上されている。新聞は外国からたくさんの電報を打ったり、記者が自動車や飛行機で方々へ出かけたり、大変な金がかかるだろうと読者は考えるが、新聞に景品や付録をつけたり、販売店を督励して、是が非でも新聞を売ろうとする努力のために費やされる金の方が、多い場合もある。しかし、この経費は、もともと、それによって読者をふやし利益を多くする目的のものだから、そのような大きな経費をつかっても効果がなければ、新聞社としては無意味である。ところが、各新聞者の販売競争がはげしくなると、採算を度外視した競争までがおこなわれる。しかし、そういう無茶な、また無意味な競争は、なが続きするわけはないから、付録や景品競争は、それをつけてまで競争しても、新聞社の利益にならないとすれば、読者がそれを欲すると否とに拘らずやめてしまう。先ごろ東京の各新聞が申し合わせてそのような販売競争を打ち切り、読者にそのことを声明したビラを新聞に折り込んで配ったのを思い出す人もあろう。
 新聞も資本主義下の営利事業であるから、その生産品たる新聞を売り込むための努力がおこなわれるのは、企業として当然のことである。しかし、売ることだけが新聞発行の目的ではない。新聞にたずさわる人々は、社会の公器であることは知っているから、売ることだけが新聞の目的だとはいわない。販売という言葉すらさけて普及という言葉をつかっている新聞社すらある。いい新聞を「普及」することによって、新聞が利益することは当然みとめられてよい。しかし、新聞社がただもうけるためだけに、つくった新聞をむりやり「普及」されては、社会は新聞によって毒されるといわねばならない。


 過去の反省が全く生かされていないのが新聞社の販売競争意識。付録つき、景品つきの販売はもうすでに新聞販売の文化となっている。この状態で「特殊指定を維持」と主張できるのか大いに疑問である。
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2005年12月02日

マスコミに働いている方には絶対お勧めの一冊

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ご臨終メディア−質問しないマスコミと一人で考えない日本人−
著者 森 達也・森巣 博(集英社新書)680円

 ドキュメンタリー作家の森氏とオーストラリア在住で作家の森巣氏の対談形式で、今のマスコミ(放送、新聞)に働くものの「軸」がずれていることを分かりやすく、そしてオモシロくまとめられている。大手メディア関係者の賃金は高すぎて一般人の視線を忘れてると指摘し、2ちゃんねるで議論を戦わせている方々の視点の方が断然真相を追究していることが多いと説く。
 質問しないメディア、見せないメディア、懲罰機関化するメディアときて、善意の行方はどこに向かう…。今のメディア自身も善意を体現しようとして、そこに正義という言葉を入れ替えて、麻痺している状態…。社会全体の善意による暴走の構造は拍車がかかるばかりと指摘する。
 そしてメディアは卑しい仕事だと結び、マスコミ人は自分がくだらない、虫けらみたいな人間だというところから出発をしたほうが良い。正義であったり、公共の福祉であったり、知る権利、表現の自由とかを持ち出すから錯覚に陥ってしまう。もう一度原点に返って、メディアのほとんどの仕事が人の不幸をあげつらうことであり、聞かれたくないようなことまで取材をしなくちゃならない。その結果、常に誰かを傷つけることで成立している。ただし、そのことに対する後ろめたさは無くすべきではない―。

 再販制度や特殊指定も新聞社に与えられた特権。その特権が与えられたことと引き換えに「ジャーナリズム機能」が委ねられたのだろうと考えさせられた。『軸』は…大切だ。
 久しぶりに一気に読めた本でした。
posted by 今だけ委員長 at 01:54 | Comment(1) | TrackBack(3) | 書籍紹介
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