2005年10月29日

斎藤茂男さんの追悼集。13年前に一度だけ話を聞かせてもらいました。

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斎藤茂男−ジャーナリズムの可能性−
著者 内橋克人・筑紫哲也・原寿雄(共同通信社)2,000円

日本のジャーナリズムと若手記者の育成に寄与した斎藤茂男さんが亡くなったのは1999年5月28日。享年71歳だった。
共同通信の記者時代から事件の本質を追及する視点に冴え、取材現場から数々の問題点を取り正した。労働組合にも深く関わり委員長に就任、「お任せ組合員と請け負い執行部は返上しよう」と職場での議論に時間を費やした。また、ジャーナリスト会議でも活躍する傍らで、「斎藤学校」と称された職場の若い記者たちの相談相手として、骨身を惜しまず語り合ったという。
晩年は主に地下鉄サリン事件、オウム真理教に関連した報道番組(TBS)などに出演し、TBSの「放送と人権特別委員会」委員にも就任した。

斎藤さんの人柄が綴られたこの書には著者の3人以外にも多くの方が出筆している。瀬戸内寂聴さん、吉永春子さん、鎌田慧さん、横川和夫さん、樋口恵子さん、岩切信さん、落合恵子さん、村上雅通さん、魚住昭さん、江川紹子さん、小林武さんなど。
味のある気骨なジャーナリストの背中は偉大だとあらためて思わされる。

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2005年10月28日

ジャーナリズムの維持と新聞社経営のバランス

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理想の新聞
著者 ウィッカム・スティード(みすず書房)2,700円

イギリスの「ザ・タイム」紙の元編集長が、イギリスにおける新聞の自由についての論考を記した1冊。国家における新聞の役割や活字の意味など新聞の役割に触れながら、部数と広告に関する経営的な問題にも言及。商業ジャーナリズムへの危機と新聞社内の問題点にも触れている。
そこで、理想の新聞とは?@ニュース取材に最大限の努力を払うA印刷に値する全てのニュースを可能な限り提供するB国民とともにあるが民族主義とは違う。リベラルではあるが自由党的ではない。平和を希求するが平和主義とは違う。社会的構造そのものを建設的に改良する任務をあらゆる国民とともに遂行するーそれが成し得るために赤字にならないように広告収入を確保できるか、販売部数を確保出来るかーと結ばれている。

高い志は新聞経営者にとっても必要不可欠だが、実際に資本力に押しつぶされる新聞社も少なくない。また、営利目的としての新聞社が、本来のジャーナリズム機能を失った(そのような体質に陥った)職場を去る労働者も多い。

理想と現実は常に付きまとう。
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2005年10月27日

日本の大新聞社の問題点は世界的にも注目されている?

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日本の新聞報道
著者 林ヶ谷 太郎(池田書店)1,200円

アメリカに長く住み、国際関係論を専門にしている著者が、アメリカからの提言と題し、日本の新聞社の問題点を幅広く指摘している。日本人の無気力さが大新聞社のおごりを助長し、読者を甘く見ているから誤報や捏造記事が生まれると説く。

さらに注目したのは、カリフォルニア大学の教授である著者が「ナベカマ拡張団と新聞販売店の存続」の項で販売現場の実態を詳細に書いている。拡張団の販売行為は、新聞社がやるべき販売行為ではないと一喝。拡張団の仕組みや発行本社の販売局が裏で糸を引いている(拡張団の直接雇用は発行本社)と指摘する。また、世界最大部数を誇る読売新聞は販売店に対して信賞必罰主義に徹した「販売の神様 務台」の功績と皮肉っている。日本の新聞が巨大化した理由のひとつに宅配制度があり、その制度が崩れれば日本の新聞の危機を迎えるとアメリカから発信するところはすごい。最後の結びでは「新聞が巨大部数を維持する大企業であるところに日本の新聞の問題点がある」というのが筆者の持論だ。納得。
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2005年10月20日

記者クラブ 権力に楔は打ち込めるのか?

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記者クラブ―市民とともに歩む 記者クラブを目指して―
著者 現代ジャーナリズム研究会(柏書房)1,030円

 現在、週刊金曜日編集長の北村肇氏が新聞労連委員長の時に新聞労働者との共同作業で書き記した1冊。
 記者クラブは新聞や放送の各記者が、国会、県庁、市役所、警察や裁判所、大手電力会社などに一室を設け、広報から発表されたものを原稿に仕上げるセクション。記者クラブの既得権なのか部屋の賃貸料は払われていないところが多く、各紙の記者の机なども貸与されているところもあるという。
 新聞人は「取材しやすい」「官僚や役人の動向をチェックする」と主張するが、本来の取材活動よりも『権力のリーク』をそのまま記事にして役人のお先棒を担ぐ横並びの報道が、記者クラブにはあると思わざるを得ない。記者クラブを廃止した鎌倉市などに対して、「情報隠蔽の恐れ」などと取り上げる向きもあるが、何も発表ジャーナリズムを読者が望んでいるわけではない。
 また、記者クラブには誰でも入ることは許されない。新聞協会に加盟するなどの『身元』が明らかではない記者は出入りできないことを考えると、やはり既得権を守る親睦団体というイメージにしか受け取れない。
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2005年10月15日

新聞奨学生生活って「けっして辛いことばかりじゃない」

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それいけ新聞販売店―18歳、これがわたしの出発点―
著者 渋谷 由美子(社会思想社)1,300円

 山形県出身の著者が東京での学生生活を夢見て、自ら学費、生活費を捻出するために考えた結論が「新聞奨学生」。上京から2年間の新聞奨学生で得た体験談。
 新聞販売店に初めて足を踏み入れた時に「しまった!」と思うほど異次元の世界に見えた新聞販売店の実情。住み込みで、朝夕の新聞配達と集金の仕事をしながら、その販売店に勤める従業員の朝夕の食事を作ることも日課になった。
 「トンコ」の説明がオモシロい。「給料もらったらトンコ」、「集金したお金がたまったらトンコ」、「配達中に嫌になってトンコ」いわゆる『トンズラ』である。
 新聞屋家業の大変さにも触れており、日頃のストレスを発散させるために宴会は必要。少々酔っ払い気味で朝の配達をしても許してやって!と著者は言う。拡張団の話もオモシロく、そしてリアルに記されている。
 そのような2年間に及ぶ新聞販売店で働いた体験がこの本となり、日本ジャーナリスト専門学校の「ジャナ専大賞」を受賞した1冊だ。
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2005年10月09日

マスコミ論を研究するには良い哲学書でした?

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マスコミの総合理論
著者 稲葉 三千男(創風社)4,944円

 1987年初版。5部構成になっており、一つひとつの論が深く論じられているが、難しい哲学書という内容。
第一部は「コミュニケーション論」ちょっと難しすぎる。哲学的。
第二部は「マスコミ論」マルクス主義のマスコミ論と組織悪としてのマスコミ論を展開。
第三部は「ジャーナリスト論」マスコミ労働の特性。新聞労働の中の記者(記者クラブの閉鎖性、規制する側・される側、権力への協力・非協力、記者の特権への反省、真実報道の執念)について触れている。
第四部は「ジャーナリズム論」ニュースの真実性と虚構性。事実と流言。放送ジャーナリズムの思想にも触れている。
第五部は「広告論」で完結?
「あとがき」にはもっと分かりやすい表記がされていると思いきや「ダメだし」の展開で、学者が一つひとつの言葉までも理屈だてて理論構築されている。難しい・・・。




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2005年10月08日

新聞のこれまでの歴史も複雑!これからの将来はもっと…

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日本マス・コミュニケーション史[増補]
著者 山本 文雄(東海大学出版会)2,575円

1970年の初版。著者は当時、東海大学の文学部教授として「日本新聞史」や「新聞編集論」、「世論の構造」などを出筆。新聞が辿ってきた歴史だけではなく「新聞・雑誌・放送・映画」の歩みを一括してまとめられている。
幕末・明治時代前期では、自由民権運動と言論界、政党機関紙の発達によって、その成型が育っていく様が記されている。
明治時代後期には、商業新聞への転換、日清・日露戦争下における主戦論、非戦論の対立から社会主義新聞の出現を見る。
大正時代は、新聞の言論活動東京全紙の休刊事件、通信社の発達。ラジオの出現などにも触れている。
昭和時代では、太平洋戦争までのマスコミ界への言論統制、大本営発表の様子が記され、激化する新聞販売部数競争の販売協定まで盛り込まれている。そして戦後。連合軍のマスコミ政策から始まり、「新聞の言論活動」「激化した販売競争」「民間ラジオの登場」「テレビ時代へ」と続けられている。

販売の過当競争では、1960年5月に実施された「新聞用紙の割当制と購読料の統制廃止以来、自由競争の口火が切られ、翌年末に共販制から各新聞企業別の専売制に移って、本格的な競争体制がスタートした。日本経済の成長と並行して各新聞社は増ページ、広告収入の増加、18年間で7回も購読料を値上げしても破綻しないという恩恵を被ってきた。しかし、新聞経営は一時悪化を見る。原因はオイルショックによる不況の波をかぶったのではなく、新聞社間の過当競争という内部的問題である。現在はカニバリゼーションというのだろうか。景品付販売や無代紙を使って読者を獲得する違反行為が横行し、経営的に厳しくなっていく。

そして現在。著者が21世紀後半の新聞産業をどう予想するだろうか。

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2005年10月04日

「新聞屋だって人間なのだ!」新聞販売労働運動の第一人者が綴った自分史

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けつまずいてもころんでも−新聞販売労働運動私史ノート〈第一部〉−
著者 サワダ オサム(滋賀県新聞販売労働組合)2,200円

 新聞販売労働運動の大先輩であるサワダオサム氏が、「新聞幻想論」に続き1996年に発行した自分史の記録。
サワダ氏が滋賀県の大津市で販売店の店主らと労働組合を立ち上げるに至った背景には、新聞販売店の劣悪な労働条件を招いているのは新聞社との片務契約により、発行本社との取引関係の矛盾を正すことに決起した。日ごろは競争相手の他新聞販売店の店主らも「そのような闘いならば…」と団結する。
 そして、滋賀販労を結成し、1年後には全国新聞販売労働組合連絡協議会(全販労)に参加する。全販労は1977年5月に横浜で結成された新聞販売労働者がはじめて組織した全国組織。当時の加盟組合は河北新報仙台販売労働組合(仙台)、新潟日報販売労働組合(新潟)、全国一般神奈川地本新聞分会(横浜)、全商業京都府支部新聞分会(京都)で組織され、日本新聞労働組合連合(新聞労連)の支援を得て結集された。
 「新聞販売正常化」に全精力を尽くして闘った著者の意気込み、販売労働者の団結、新聞社体質への指摘、「新聞販売問題」を国会質問まで展開する手法などが伝わってくる。
 サワダ氏は今年70歳を向かえ、新聞販売労働運動から引退を表明した。サワダ氏の凄まじい運動の歴史は残るが、今の新聞販売の現状は一向に改善されていない。販売問題一つ改善されない新聞業界は、インターネットの普及により「紙」新聞の存在自体を危ぶまれても自らの業界構造の問題を改善することが出来ないでいる。
 長い歴史を持ち、再販制度などに守られている「新聞社」は、時の流れや消費者(購読者)のニーズには鈍感なのだ。

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2005年10月01日

新聞奨学生過労死裁判闘争の記録

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けわしくても厳しくても−ある新聞奨学生の過労死裁判の闘い−
著者 読売育英奨学生上村修一君の過労死裁判を支援する会

上村事件とは
 上村修一君は高校時代から水泳部の副キャプテンを務め、持久走を得意とする身長184センチ、体重70キロの体格と健康に恵まれた青年でした。スキューバダイビングのインストラクターになろうと志して、1990年4月に「学業と就業の両立」を謳った「読売新聞育英奨学生」に応募、採用されて東京調布市の新聞販売店に配属されました。
 新聞販売店での仕事は深夜3時に出勤して6時過ぎまで朝刊を配達、朝食をとってから渋谷の日本レジャー専門学校へ通学、午後2時ごろに下校して3時から約2時間夕刊配達業務に従事、夜は夕食後から翌日の朝刊折込チラシの準備作業に携わっていました。また、月末から月初めの半月間は読者宅への集金業務に従事、留守宅などへの再三の訪問は休日や深夜に及び1日の睡眠時間は4〜5時間程度でした。
 そして就労後半年たった10月頃から体重の減少、咳が出るなどの不調が目立ってきました。日々の生活が新聞奨学生として拘束をされた状態の下で「応募要綱」で示された募集条件と違う過酷な業務を訴えるすべもなく、退職を考えましたが、新聞奨学生を途中で辞めると奨学金(貸与された入学金と授業料)を全額、一括して返済しなければなりません。そのために、せめて年度末の3月までは我慢しなければと働き続けて、ついに上京から8カ月目の12月4日に勤務中に倒れたのです。
 行政解剖の結果「一過性の高血圧による小脳出血」による死亡と診断。その原因は「新聞配達、集金業務による心身の疲労、ストレスによるもの」との判断が下されました。
 事件後、ご両親(上村二活さん・カズ子さん)は、読売新聞社と奨学会に対して、修一君の死亡の原因について問い合わせたり、92年には弁護士と同行して読売新聞社を訪ねましたが、対応はなく、修一君が亡くなって3年目にあたる93年12月3日に東京地方裁判所に損害賠償を求めて提訴。運動が始まったものです。

 運動の経過
 この書(非売品)は、1999年7月27日、上村君過労死裁判闘争の和解が成立(事件発生から9年間)するまでの期間、裁判を支援する会結成から6年間の活動を綴った記録です。
 「最年少の過労死」として報じられたこの事件は社会的にも注目された事件。一人の若者の死が提起した問題は、単に健康管理や業務のあり方だけでなく、新聞発行本社の体質や新聞産業の過当競争体質、さらに新聞販売労働者の労働条件の問題にもスポットがあてられ、社会的な問題となりました。また、この闘いを通じて、新聞奨学生の電話110番相談の開設や裁判の傍聴、読売新聞社前でのビラまきや支援する会の拡大などで、この運動に賛同する団体は1400を超えました。

 今だけ委員長もこの裁判闘争の支援団体として運動に参加しました。もう二度とこのような無惨な事件が起きないように販売労働者、新聞奨学生に問題を底辺から改善していく取り組みを行っています。
posted by 今だけ委員長 at 16:05 | Comment(3) | TrackBack(3) | 日記
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